7月17日 イタリア(1):バーリ 「また野宿?」

7月17日 イタリア(1):バーリ 「また野宿?」

「船泊」
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シートは、船の振動が直接伝わってくるのであまり寝心地が良いわけではなかったが、私はいつの間にか寝て、起きたら朝9時となっていた。

そろそろ起きようと思い、シートから起き上がって、テーブル席の方に行って朝食を食べた。朝食は昨日スーパーで購入したチェリージャム入りクロワッサンとチョコクリーム入りクロワッサン(各0.58ユーロ:72円)とバナナ(約0.30ユーロ:約42円)を食べた。

しばらく時間があったが、昨夜あまりしっかり寝ることができなかったので、私は近くにあったソファーに行って1時間程寝た。

「バーリ到着」
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11時10分前頃、船内のアナウンスがもう少しでバリに到着することを伝えてくれた。いよいよイタリア入国である。私は急いで降りる準備をした。

そして船は予定通り港に到着。私はついにイタリアに入った。しかし、イタリアに入国しても、パスポートチェック等がないのであまり国を渡ったという感じがしない。入国審査でいちいち荷物検査があって荷物を出すはめになるのはとても面倒だが、私は自分のパスポートをスタンプでいっぱいにしたかったので少し残念である。

バーリの港も広い。周りには大きな船がたくさんある。イタリアの他の港に行くもの、ギリシャに行くもの、クロアチアに行くものなど様々。ここはきっとイタリアの主要港なのだろう。しかし、広いので私はどこへ行けば良いかよくわからなかった。私はとりあえず皆が歩く方向へ行った。しばらくして大きな建物が出てきた。私は次に行く場所を、クロアチア・ドブロクニクか、イタリア・シチリア島か、ローマかで迷っていた。クロアチアへの船について聞きたかったので、私は建物の中に入っていく。

その中に入って話を聞くと、どうやらここではチケットを売っていないし、ギリシャへの切符の扱いしかしていないようだ。係員によると違うフェリーターミナルにあるという。

外に出て辺りを見渡してもそれらしきものがない。ちょうど「無料シャトルバス」と書かれたバスがやってきたので、私は多分このバスに乗ればもう一つのターミナルへ行くだろうと思ってそのバスに乗った。

「クロアチア行きのフェリー」
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しばらくすると、別の大きな建物の前で止まった。多分ここがターミナルだろうと思い、私はバスを降りた。

中に入ると、アルバニア行きのフェリー窓口が並んでいる。違う、私はクロアチア行きのフェリーを探しているのだ。聞くと、クロアチア行きのフェリーは二階だというので、私はエレベーターで二階に上がった。そこにはクロアチア行きのフェリー窓口が並んでいた。

一番奥のフェリー窓口Azzurra line社に大きく「ドブロクニク」と赤字で書かれていたので、私はその窓口に向かった。聞くと、ドブロクニクまではなんと52ユーロ(6760円)もかかるというのだ。私はドブロクニクに行った後またこのバーリに戻り、ローマやフィレンツェを訪れようと思っていたので、その倍かかる計算になる。それは避けたいので、私はこのバーリ以外のイタリアにある港からクロアチアへのフェリーはないかと聞くと、アンコーナからならあるという。しかも、平日だと25ユーロ(3250円)で行けるというので、私はアンコーナからクロアチアに渡ることにした。

その時から、私の頭の中からシチリア島の選択肢は消えた。ルートを迂回することになるし、クロアチアに行った方が物価が安いし、ドブロクニクの方が魅力的だと思ったからだ。私はこの先のルートを決めた。ローマ、フィレンツェに行き、そしてクロアチアに船で渡ってドブロクニクへ行く。そしてクロアチアを回ってイタリアのベネチアに回って当初予定していたルートに戻る。当初予定していたルートから少し離れるが、楽しみが増えた。

「バーリ旧市街へ」
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フェリー乗り場を出ると、目の前に現れたのはバーリの旧市街。ギリシャでも時々見かけたが、ヨーロッパではこうして昔の町並みをそのまま保存するようだ。日本は戦争でほとんど焼けてしまったのだろうか、そのような風景をそこまで見ることはない。もうすこし日本も見習わなければならないのではないかと思えてくる。

旧市街に入ると私はこのバーリの見どころ、サン・ニコラ教会へ向かった。イタリアは観光客用の公的なインフォメーションがとても充実している。もうバーリに入ってすでに3件あった。ギリシャが主要観光スポットにひとつしかなかったのに比べてとても観光客に優しい。ここで私は地図を手に入れたので、すぐにサン・ニコラ教会へ向かうことができた。

サン・ニコラ教会の中に入る。はじめ、こんな大きなザックをしょっていても入ることが許されるのか心配したが、中に入って何も言われなかったので大丈夫なようだ。

サン・ニコラ教会は明らかに私が今までギリシャで見てきた教会とは違っていた。ギリシャの教会の多くにはフレスコ画が書かれていたが、この教会にはそういったものは全くない。天井を見上げると、フレスコ画ではなく美しい油絵が描かれている。その絵はとてもきめ細やかに描かれている。右手にはリアルな十字架に架けられているイエス・キリストの像が置かれている。信者はそこの前で深くお祈りをしていた。

天井がとても高いので、開放感があるとともに、広々をした空間を生み出し、ここが神聖な場所だという雰囲気を出している。私の大学にあるチャペルに入った時よりなんだか重い空気が漂う。

「San Sabino 大聖堂へ」
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私はサン・ニコラ大聖堂を出たあと、次のスポットSan Sabino 大聖堂に向かった。このSan Sabino 大聖堂に行くと、なにやら多くの人が黒い正装である。男の人は黒い背広に黒いネクタイ、女の人は黒いワンピースを着ていた。どうやら、この教会で葬式が開かれていたようである。

来てはまずかったかと思ったが、一般の観光客達が大聖堂に入っていくので、私も観光客に交じって中に入ることにした。

この大聖堂は、先ほどの教会に比べて大きさは大きいのだが、内装は簡素であった。天井に絵画があるわけでもなく、白い石で組み立てられたこの大聖堂はただ広い。両脇には番号のふられたたくさんの小さな銅像が置かれている。この銅像の意味は何なのだろうか。少し気になるところである。大学であまりそこまで一生懸命に取り組まなかったキリスト教の授業が、今になって必要になってきた。ここにあの授業の教授がいれば色々教えてくれるのだろう。

「新市街へ」
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バーリの見どころのもう一つに、お城があったのだが、外から見て平凡そうだったし、入場料が3ユーロ(390円)かかったので諦めた。

新市街に出て、地図に書かれている大通り「Via Sparano Da Bari」を歩く。そこにはたくさんのブティックショップが並ぶ。日本で目にするお店も多くあった。しかしあまり旅の資金がない今の私には縁のない場所である。今はバーゲンシーズンなのか、それとも日本のようにデフレの危機なのかわからないが、多くの店が「Saldi(多分セール)」の看板を出し、50%OFFや、多いところだと70%OFFの看板を出している。是非とも店に入りたいところだ。

私は通りを抜け、公園に出た。公園にはなぜだか多くの黒人が集まってしゃべっていたり、露天商を営んでいる。なんだか柄の悪そうな者が多い。今はまだ良いが、夜にはあまり行かない方が良さそうだ。

公園を通り過ぎると、目の前にバーリの駅が見えた。ここで私は、次の都市であるローマへの移動を調べることにした。

駅のチケット売り場に行くと、窓口があり、人々はそこに並んでいた。しかし、その近くにチケットを販売する機械も数台並んでいる。窓口で通じるかわからない英語を話してよくわからなくなるより、機械の方が確実だと思い、私は機械を操作した。機械はヨーロッパ数か国後に対応している。私は英語を選んで、このバーリ駅からローマへの切符を探した。車種は「ユーロスター」「IC(インターシティー)」「夜行列車」があった。節約志向の私にとって、特急であるユーロスターは問題外だ。残るはICと夜行列車だが、どちらとも約35ユーロ(4550円)である。宿代を削りたい私は間違いなく夜行列車を選びたい。

そこでひとまず列車はおいておいて、次に進んだのはバスの切符売り場だ。バスの切符売り場は駅の反対側にあるとインフォメーションの人が教えてくれた。反対側に進んでも、すぐに見当たらなかったので通りがかりの人に聞く。やはりどこの国に行っても英語がそこまで通じない…英語が母国語でなければ当然だろうが、私はヨーロッパなら多くの人が英語を話せると勝手に期待していたのだが、どうやらその考えは全くの的外れだったようだ。彼らは私が英語を話しても、問答無用でイタリア語で話してくる。でもなんとか通じたようで、彼らはバスのチケット販売所を教えてくれた。

行くと、小さくて見逃してしまいそうだったが、バスのチケット販売所があった。そこでは、窓口が3つあるうちの一つしか空いていないのにも関わらず、6人ほどが並んで列を作る。私は最後尾に並んで待った。販売所の壁には時刻表と料金が書かれている。料金は31.50ユーロ(4095円)、もちろん夜行バスもあった。バスの方が電車より経済的なようなので、私はバスで行くことを決めた。自分の番になってチケットを買おうと英語を話す。しかしやはり通じない。しかし後ろの人が、私の英語を理解したようで、イタリア語で通訳してくれた。

私は夜11時59分発ローマ行きのバスに乗ることにした。

「バーリ市内散策」
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次に、私はバーリ市内を散策したいと思ったが、ずっと重たいザックをしょっての散策はさすがにそろそろ限界だった。そこで駅のロッカールームに預けることにした。

ロッカールームに入ると、最初は誰もいなかったが、私が入ると係員の人が入ってきた。料金は最初の5時間は4ユーロ(520円)、その後一時間ごとに0.7ユーロ(91円)づつ加算されていくのだという。ちょっと高かったが、バーリ市内をたくさん歩いて回ってみたかった私はロッカーに荷物を預けた。

私はお腹が空いていたので、まず食べ物を探しに街に出た。今まで節約志向であったが、せっかくイタリアに来たので、本場の味を試してみたい。そう思い、なにか手頃な値段でおいしく食べられるものはないか探した。

駅の近くを少し歩くと、ガラスケースの中にピザやラザニア、パスタなどたくさんのおいしそうな料理が並べられている店を発見した。これが噂の、テイクアウェイもできるし店内で手軽に食べることもできる「ターヴォラ・カルダ」というお店だろうか。私はそこにあるラザニアがとてもおいしそうなので注文した。料金は3.8ユーロ。このような料理も量り売りのようだ。ヨーロッパは果物や野菜といい、なんでも量り売りだから少しずつ購入できて良い。

私はラザニアをテイクアウェイした後、バーリの中心にある大きな公園のベンチに腰を下ろし、食べた。…おいしい!赤ワインだと思うが、お酒の味がほどよく効いて上品な味わいである。トマトの味もとても濃い。正直ギリシャの食べ物はただ脂っこいものが多く、そこまで好きになれなかったが、やはりイタリアは裏切らなかった。

ラザニアを食べた後、私は再び旧市街を散策するために、市内の中央を走る大きな通りを歩いていた。ここは歩行者天国で、車はいない。たくさんのブティックショップが並ぶが、今はお昼休みなのか、ほとんどのお店がお休みだ。そういえば『地球の歩き方ヨーロッパ』に、イタリアはお昼休みをとる場所が多いと書いてあったような気がしたが、本当にそのようだ。日本だったらお昼休みなんて考えられないだろう。

しばらくすると、通りの右手にH&Mが現れた。H&Mといえば、原宿と銀座にあるいつも混んでいるあの店ではないか。バーリのH&Mは混んでいるどころかガラガラ。やはり昼休みで通りに人があまりいないからだろうか。表に「SALDI(多分SALE)」と書かれていたので、見るだけ見てみようと思って入った。3階が男服売り場だったのだが、なんとTシャツがセールで3ユーロ(390円)で売っている!デザインも悪くないのし、ちょうど最近汚れたTシャツを捨てたところだったので思わず購入した。H&Mは他にもズボンが10ユーロ(1300円)で売っていたりする。H&M…まさかここまで安いとは知らなった。

「旧市街へ」
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H&Mを出て10分くらいで旧市街への入口に到着した。先ほど通った道とは違うところを通ろうと思い、駅から右手へと進んでいった。

やはりヨーロッパというべきか、昔からずっと建て替えられていないだろうたくさんのヨーロッパ建築がたくさんある。私はその建物のたくさん並べられているあの開き扉が大好きだ。そうやってずっと建物を眺めていると、たくさんの鳩が止まっているところがあった。そしてよく見ると、その建物の壁に死んだ鳩が数羽吊るされている。きっと壁に設置されている電線が鳩の足に引っ掛かり、動けなくなって死んでしまったのだろう。これはひどい。

旧市街へ入ると、もうそこは昔の街。まるでタイムスリップをしたような感覚に陥る。私は喉が渇いていたので、街に設けられている水道からペットボトルに水を汲んで飲んだ。イタリアの水は、日本と違って硬水なので味にす少し違和感があるが、直接飲むことができる。周りの人々も飲んでいたので、私は安心して飲んだ。

旧市街は、ギリシャのロードス島の旧市街と同じように、道の側面にある窓の隙間を除くとすぐに台所や居間が見える。日本なら垣根を置き、多少見えなくするのだが、そのようなことはしない。この公共の場と生活の場の距離の短さに私は驚いた。この距離の短さならば、きっとこの辺りの人々の近所付き合いは良いのだろう。現に家の表に椅子を置き、近所のおばちゃん同士が仲良くおしゃべりをしている。わたしはこのような人間味溢れる街が大好きだ。

バーリに入ってきたときに主要なところを見終えていた私は、旧市街をただぶらぶらしていた。

「イタリアの若者観」
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旧市街をぶらぶらした後、私は次に新市街をぶらぶらした。夜23時59分にバスは出発する。しかしまだ午後3時30分頃。それまで私は暇だった。

私は明日の朝食用に、スーパーマーケットでリンゴとバナナ(合わせて0・80ユーロ程:104円程)、そして今飲むためにアイスティー(0.64ユーロ:84円)を購入した。いつもそうだが、私がわずかしか果物を買わないとスーパーの人は少し変な顔をする。スーパーでは多くのお客がたくさんの果物をまとめて購入するからだ。だが私は、それに構うことなく果物を購入する。

スーパーを出た後、私は歩行者天国の通りにあるベンチに腰を降ろして休憩した。目の前には「ルイ・ヴィトン」のお店がある。結構な人が店に入り、買ったものを入れたルイ・ヴィトンの紙袋を手から下げて店を出てくる。今は大不況だが、リッチな人はリッチである。しばらく腰を降ろしていると、となりの白髪のイタリア人のおばあちゃんが私に話しかけてきた。
「あなた英語は話せるの?生まれはどこ?」
「日本です。」
「東京?」
「はい。そこに住んでいました。」
「わたしゃね、ずっとこのバーリ、バーリ、バーリよ。」
彼女はこのバーリがとても好きなようだ。しかし、
「あなたも見てわかるでしょ、最近バカな奴がたくさんいるのよ。」
どうやら、通りにいるたくさんの若者達のことを言っているようだ。日本でも同様の事を口にする人々は多そうである。「最近の若者は…」というフレーズは万国共通語なのだろうか。世界の若者はどこに行っても非難されるようである。
しばらくして会話が止まり、私はガイドブックに目を移した。そしてその間、おばあさんは次のターゲットに近くのイタリア人若者グループを選び、再び世間話を始めた。

「バーリの物価」
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私はその後、夕食をどうしようかと考えながら再び新市街をぶらぶら歩いた。すると、なんと店に「サンドイッチ1ユーロ」というポスターが貼られていたので、私は1ユーロ(130円)のサンドイッチで夕食を済ませることにした。

サンドイッチには白身魚のフライと、レタスに玉ねぎ等が挟まれていた。パンは固めに焼かれ、表面は少し焦げている。1ユーロの割にはなかなかボリュームがあったので、私は十分満足することができた。

総じて、ここバーリでは探せば様々な安いものがあるように思えた。イタリアはとても高いイメージがあったが、なんとかやっていけそうだと思った。ただ、この物価はここバーリ辺りだけで、ローマに行けば高くなるかもしれない。

「荷物置き場の係員」
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私は食事を済ませると、荷物を取りに駅へ行った。預けて5時間が過ぎると追加料金がかかってしまうからだ。5時間になる19時30分まであと30分。ちょうど良い時間だった。駅の荷物置き場の係員のお兄さんは感じの良い人だった。
私が荷物置場に入って返却をお願いすると、
「ちょっとまってろよ。今取りにいくから。…よし(縦長のザックを垂直に置くと)、(ザックが倒れないように)止まれ、止まれ、止まれ!よーし!これでOKだ。」
そしてお金を払うと、
「OK!ありがとう!じゃあまたな!」
※以上、多分このようにイタリア語で言っていた。
私の解釈が正しければ、とても感じの良いお兄さんである。

まだバスの出発まで4時間もあった。その間、私は駅の傍にあったマクドナルドで日記を書いたり本を読んだりして時間を潰すことにした。

「バスはどこ?」
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バスが出発する30分前、私はマクドナルドを出てバスの停留場へと向かった。バス会社の人は、
「多くのバスは駅の裏側(南側)に止まるけど、あなたのバスは駅の表(北側)にバスが泊まるから注意してね。」
と教えられていたので、駅の表に行ってみる。バスが一台止まっていたので、私は近くにいたバスの運転手にチケットを見せると、
「違うよ。このバスじゃないよ。」
と言う。おかしい…しかし、この辺りにはバスはこれ一台である。よく探すと、もう一台バスが止まっており、その前にはたくさんの人々が集まっている。もしかしてこれかと思い、集まる人々にこのバスがローマ行きかと聞くと、
「ちがうよ。このバスはある路線が止まったからその代わりに出るバスなんだ。」

言われた場所にバスが全くない…しかもまだバスが来ていないにしても、30分前ならば人がどこかに集まり始めても良いはずである。しかしその集まりもない。私は少し焦ってきた。

次に私はタクシーの運転手なら何か知っているだろうと思い、私のチケットを見せて聞いてみた。すると、
「ホテルの前に止まっているやつだよ。la、la.(多分イタリア語でそこ、そこ。)」
どうやら私が最初に見つけたバスの事を言っているようだ。しかしあのバスでないと言われた。そのことを伝わったかわからないが告げても同じことを繰り返す。私はもしかして、先ほどのバスの運転手が勘違いしているのではないかと思い、再び先ほどのバスを訪ねてみた。すると、
「だから違うよ。だってこのバスはアルバニア行きのバスだよ。」

アルバニア…私のバスはローマで止まるはずである。確実に違う。するとそこのバス会社の人は、
「このバス会社のバスなら、2本ローマ行きがあはず。一本は駅の表から出るけど、もう一本は駅の反対側から出るよ。駅の反対側にも行ってみたら。」

私はこの言葉を頼りに、駅の反対側へ地下通路を通って行った。バーリ駅は番線がたくさんあるので、横に長い。駅の反対側に行くには少し時間がかかった。

駅の反対側に出て、通りすがりの人に、
「このバス会社のバスはどこからでるか知っていますか?」
と聞くと、
「いつもならこのあたりにバスは止まっているよ。」
と言う。この辺り…しかし、この辺りにはバスがいない。
「この辺りですか?バスはいませんよ。」
「それじゃあわからないな。ごめんね。」
そう言って通りすがりの人は去っていく。もう一人にも聞いてみたが、同じことを言われる。…やばい!あと5分でバスは発車してしまう。私は重たいザックをしょって再び駅の表側に行った。もしかしたら今ならバスが到着しているはずだ!

駅の表に出た。しかし、駅の表にあるバスは、先ほどのアルバニア行きのバスだけだった。私は再びバスの運転手や、タクシーの運転手に聞いてみるが、誰も解らないという。

23時59分を回った。バスの発車時刻である。アルバニア行きのバスも同じような時刻だったようで、アルバニア行きのバスは発車した。もしかしてあのバスが私のではないかとも思ったが、運転手に何度聞いても違うと言われたからやはり違うのだろう。

私が困っていると、出発したアルバニア行きのバスの出席をチェックしていた人が、
「さっきも言ったけど、ローマ行きのバスは2本あって、そっちは12時15分発だよ。それは駅の裏側だからもう一度行ってみたら?」
私は再び駅の反対側に行くために地下通路をダッシュした。重たいザックを担いで長い間走っていたので、そろそろ肩が悲鳴をあげてきた。頼む、頼むからバスがいますように。地下通路の階段を上がり、駅の反対側に出る。しかし、バスは見当たらない。駅に沿って一直線に伸びるこの長い道路のどこにもバスは見当たらなかった。なぜだ?私は駅に泊まり、明日バス会社に文句を言ってローマに向かうしかないと考えた。イタリアの治安は悪いと聞く。正直、イタリアでの駅泊は避けたかった。しかし、この時間もう安宿はないだろう。どうしようもない。

私は駅構内を歩いた。しばらく歩くと、ベンチに寝ている人が数人いるところがあったので、私もそこに腰を降ろし、この場所で寝ようと考えた。しかし、なんだか眠れない。私の隣で4人の中年男女がおしゃべりをしていた。そして私に声をかけてくる。
「中国人か?」
「違います、日本人です。」
そういった単調な会話をした。そしてしばらく会話をして駅の表側が少し見える建物と建物の隙間に目を向けた。すると、一瞬バスが通り過ぎた!そのバスには私の持つチケットのバス会社と同じ名前が刻まれている。もしかしてあれか!そう思って私はザックを急いでしょってそのバスめがけてダッシュした。

バスは駅の表側に停車している。先ほどアルバニア行きのバスが止まっていた場所だ。そして行先を示す電光掲示板には「ROMA」と書かれていた。やった!

バスの運転手にチケットを見せた。
「ちがうよ。このチケットのバスはもうでちまったよ。」
「でもこの時間、私はこの辺りいて必至にバスを探したんだけど見つからなかったんだよ。」
そう私が必至で説明すると、
「わかった、わかった。いいよ。乗りな。」
やった!今日のうちにローマに行ける!私は心の不安が一気になくなり、とても嬉しい気持ちで一杯になった。
私は荷物を置き、バスに乗って運転手に礼を言った。

夜の1時45分、バスはローマに向けて出発した。

タケノコ

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