8月2日 8ヶ国目コソボ(1):プリシュティナ~ぺーヤ 「世界で一番新しい国『コソボ』」

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まえがき
クリントン元米大統領の写真が掲げられている。
米国がコソボ独立へ手を貸したからだろう。
コソボ共和国は、2008年にセルビアから独立宣言を行った国であり、現在最も新しい国として知られる。しかし、2009年6月の時点で、国連加盟国192カ国の内、日本を含む60カ国しか国家承認を行っていない。

国連への加盟も果たしておらず、国際的にはまだ微妙な地位に置かれている。私がコソボの宿に電話をかけ用とした時、国際電話でかけるべきか国内電話でかけるべきか迷った。調べてみると、コソボはまだ国連に加盟していないため、国番号がなく、セルビアの国番号が使用されるとのことだ。
国際的に認められ、完全独立国家としての道を歩みたいところだが、ロシアや中国など、国内に同じような民族問題を抱えている国々が承認しないので、国連加盟などについては見通しが立っていない。

UNMIK事務所。まだ国連はコソボの治安維持や復興支援を行っているようだ。
コソボは独立しているのだが、今だにNATO(北大西洋条約機構)を主体とする国連が治安維持に当たっている。その名は国際連合コソボ暫定行政ミッション(UNMIK)だ。
私が世界遺産を訪れた時、NATO主体の国際部隊(KFOR)が周辺を警備していた。その世界遺産は、コソボでは少数派のセルビア人が信仰するセルビア正教会なので、多数派のアルバニア人過激派によって攻撃される恐れがあるからだろう。現に、コソボにある4件の世界遺産は世界遺産委員会によって「危機遺産リスト」に登録されている。

独立を果たしたコソボは、自分たちの民族意外には排他的な姿勢をとるのかと思ったが、意外にも日本人である私にとても優しい。「日本に一度行きたい」と言ってくれた人もいて、とてもフレンドリーだった。

通貨はユーロが流通している。ユーロ圏は基本的にどこも高いイメージだったが、ここコソボは驚くほど安い。

やはりまだ危険なイメージがあるからだろうか、観光客はあまりいない。だが、北部を除いて治安はとても安定しているようだった。

コソボは今、どこにいっても道路や建物建設が行われ、インフラ整備が進んでいる。独立してまだ1年と少し。これから徐々に新しい国家としての道を歩んでいくのだろう。


「コソボ到着」
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首都プリスティナの風景
朝4時半ごろ、コソボの首都プリスティナに到着した。最近は比較的治安が安定しているとインターネットに書かれていたし、私が旅の途中で会った大学生の知り合いがコソボに行ったという話を聞いたので大丈夫だと確信していた。

だが、自分の目で確かめるまでは正直不安な気持ちはあった。なので、いつにも増して旅の準備をした。ホテルの予約も事前に調べておいたし、最近なにか目立った事件がなかったかインターネットで調べたりした。

バスを降りると、バスターミナルではなく幹線道路に降ろされた。バスはまだこの先を行くようだ。バスから降りるとき、席の近くにいた白人の中年男性に、
「おい、ここはプリスティナだぞ。」
と注意された。私がこの街に降りようとしているとは思わなかったようだ。やはりこの街、もしくはこのコソボがマイナーな国なのか。少し不安を覚えた。

バスターミナルが近くにあったので、このあたりの地理を全く理解していなかった私はとりあえずそこに向かった。いつもはGoogle Mapを使用して地図を出し、ホテルの場所等を調べるのだが、コソボの首都であるプリシュティナの詳細地図はGoogle Mapに載っていなかった。やはりこの街、この国はマイナーなのだろう。

バスターミナルに行き、とりあえず次の目的地への切符を調べることにした。マケドニアの首都に行こうと考えていたので、聞くと明日の朝に出発するという。近いので、値段はたったの6.50ユーロ(745円)だった。私はそのバスに乗ろうと決め、その場で購入する。窓口では英語が全く通じなかったので紙に書くなりして苦労した。

「ロンドンに住むロシア人」
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私の次に、英語を流暢にしゃべる若い白人がいた。彼はコソボの東にあるアルバニアの首都、ティラナに向かおうとしていた。

アルバニアといえば長い間鎖国を行っていたと聞いたことがある。なのであまり観光客に対してウェルカムではなく、宿泊料金が高いと聞いた。彼はそんなアルバニアに行くのだろうか。

料金を支払う際に、彼は隣国セルビアのディナールは使えないかと尋ねていた。コソボは元セルビアの自治州なので確かに使えるかもしれない。だが、バスチケット売り場の親父は、
「なんだそれ。そんなものじゃ払えないよ。」
と言う。去年独立したばかりなのになぜセルビアのディナールを見たことがないのだろうか。セルビアが新しい紙幣を発行したのだろうか。それともこのコソボは長い間ユーロを使っていたのだろうか。謎である。

彼も一人旅のようなので話しかけてみた。彼はロシア人で、今ロンドン大学で法律の勉強をしているのだという。頭が良さそうだ。5日間、このバルカン半島を回わるのだという。バックパックは5日間用なのか、とても小さくて軽そうだった。

彼の行くアルバニアについて聞くと、べつに私の考えていたような鎖国的要素は、今はないという。海外版『地球の歩き方』と言えるくらいメジャーの『ロンリープラネット』アルバニア版を持っていたので見せてもらった。なるほど、確かに宿も10ユーロ程度からある。以前鎖国をしていたアルバニアとは一体どんな国なのか、私は興味が出てきた。マケドニアにはアルバニアに行ってからでも行くことができるので、私はアルバニアに行ってからマケドニアに行くことにした。

バスのチケット売り場に行くと、すぐにチケットを変えてくれた。追加で10.5ユーロ(1365円)を支払った。アルバニアの首都ティラナまで合計17ユーロ(2210円)。チケットは18時発だ。到着は午前1時頃だという。またバスターミナルで寝ることにしよう。聞くと、バスの行先はDurresという場所で、首都ティラナまではバスで更に20分ほどかかるという。少々不便である。

私と彼はバスターミナルの席で話した。朝食をとっていなかったので、売店に売られていたサンドイッチを購入した。値段は1.5ユーロ(195円)。やはりバスターミナルだからだろうか、そこまで安くはない。

彼はとても良い人だった。このコソボでは、やはりまだ治安への不安が完全に拭えない。地図も売られていないし、インフォメーションもないので、地安ければタクシーで宿まで行こうと思った。すると彼は、私が予約しておいた宿の住所を手に取り、その辺りの人に宿までの時間と、タクシーの値段を聞いてくれた。ここから距離にして5~6km、値段は3ユーロ程度だという。いつもなら3ユーロならば良いかと思い、私はタクシーに乗ることにした。すると彼はタクシーの運転手に交渉してくれ、
「これに乗れば大丈夫だよ。」
と言って全て手配してくれた。彼はバスの時間まで時間があるので、歩いて街の中心街を探すという。タクシーのことから何から何までやってくれた。なんと優しいロシア人であろうか。世の中にはいい人がいるものである。

「ホテルへ」
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タクシーに乗り、私は10分程度でホテルに到着。タクシーの乗ってホテルに向かうのはこんなに楽なのかと思ってしまう。だが、こんなことをするのはここが最初で最後であろう。

時刻は午前6時頃。だが、宿は開いていた。レセプションに行くと、
「バックを置くだけならいいよ。チェックインは1時だ。」
1時とは遅い。いつもの宿なら11時には入ることができるのだが、この宿ではダメなようだ。私は荷物を置き、外に出ることにした。レセプションに街の中心街への行き方を教えてもらった。聞くと、別に危険はないというので、私は一人歩いて市街地へ行くことにした。

「コソボの首都:プリシュティナ市街地へ」
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壊されたセルビア正教会
ホテルのまわりは、まだ朝早いからだろうか、あまり人通りはない。街には「1ユーロ」と大きく書かれた看板がある服屋やファーストフードショップがある。コソボはユーロ圏だが、やはり物価が安いようだ。

街にはたくさんのEUの国旗が付いた車や、「UN」と書かれた国連の車がたくさんある。彼らが治安維持に務めているのだろう。だが、このような光景を見ると、やはりこの国はまだ治安が安定しているとはいえないかもしれない。だが、この街を歩く限り、徐々にその不安はなくなっていく。別にそこまで怪しい人々がいるような感じではないし、のどかで静かな街だ。

歩いている途中に、破壊された教会があった。きっとセルビア正教会の教会だろう。中は焼け焦げた跡があり、入口部分は鉄線が張られて中に入れないようになっている。

カフェの店先にあるテーブルには、朝早くから数人のグループが楽しそうに話をしている。本当にこの国の治安は悪いのだろうか。浮浪者がたくさんいたアテネの街の方が、私は治安が悪いように感じる。

まだ朝早く、どこの店もやっていないし、情報源となるインフォメーションや旅行会社もやっていないと思ったので、しばらくゆっくりしようとカフェに入ることにした。やはりカフェは安く、一番安いもので50セント(65円)のエスプレッソがある程。私は75セント(97円)のカプチーノを頼んだ。

ここのカプチーノは、白い泡の上にとても甘いチョコレートシロップのようなものをかける。そのチョコレートシロップが少しレトロな味がする。

午前11時ごろになり、そろそろ周りのお店も開くだろうと思って外に出た。だが、外に出てもあまり店は開いていない。良く考えてみれば、今日は日曜日なのだ。カフェやレストラン、スーパーマーケットくらいしか開いていなかった。

そこで、私は住宅街を歩くことにした。ここプリスティナでは、たくさんの人が住んでいるのか、大きな集合住宅がたくさんある。古いものも多い。紛争の被害を逃れることができたのだろう。ベランダにはパラボナアンテナがたくさんついている。このあたりではテレビ電波を送信する設備がないから衛星放送がメジャーなのだろうか。

集合住宅の前にある公園では、子どもたちが無邪気に遊ぶ。中年の男たちは芝生の上に輪になって座って世間話をしている。この風景を見ると、治安が悪いとは思えない。むしろ平和そのものだ。

しばらく歩くと、大きな通りがあり、その向こうに大きなスーパーマーケットがあった。あの大きなスーパーなら、このプリスティナの地図があるだろうと思って中に入った。思った通り地図があったので、私は3.5ユーロ(485円)で購入した。ようやくここプリスティナの地理を理解できるわけだが、どこか行くのに良い場所はないので、店の裏側で休憩しているスーパーの男性店員に地図を広げて聞いた。

店員はとても優しく、このあたりの地理を教えてくれた。彼いわく、このプレスティナの人口は急激に増え、新しいマンションがたくさん建てられているのだという。彼は2000年までスイスにいて、その後ここコソボ(当時セルビア)に帰国したそうだ。2000年までは、とても紛争が激しかったのだとか。だが、今は治安も良くなり、とても平和だという。私はよく地元の人に、
「危険はないか?」
と聞いたが、皆笑って、
「そんなことないよ。」
と明るい顔をで言うのだ。少なくともこの街プリスティナはやはり平和なようだ。

「コソボの世界遺産」
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コソボには世界遺産が4つある。「コソボの中世建造物群」と称して、デチャニ修道院、ペーチ総主教修道院、リェヴィシャの生神女教会、グラチャニツァ修道院の4つが登録されている。だが、冒頭でも述べた通り、これらの世界遺産はコソボの治安が不安定という理由で「危機遺産」に登録されている。

これらの世界遺産はすべてセルビア正教会の教会や修道院。コソボで大多数をしめ、セルビア人と対立するアルバニア系過激派の攻撃対象になる恐れがあるからだ。現に2年前、デチャニ修道院の近くで手りゅう弾が爆発する事件があった。やはりこのコソボは、場所によっては危険なのかもしれない。

だが、最初そんな知識もない私は世界遺産に行こうと考えた。地図を買ったスーパーの近くに、バスターミナルがあることを知ったので、そこで世界遺産への行き方を聞く。バスターミナルにUNHCR(国連人権高等弁務官事務所)のTシャツを着た男と、バックパッカ―らしき男が流ちょうな英語で話しをしていた。彼らならばこのコソボをよく知っていそうだと思い、コソボの地図を片手に話しかけてみた。
「世界遺産はどこにあるかわかりますか?」
「世界遺産?何それ?」
「UNESCO(ユネスコ:国連教育科学文化機関)に選ばれたものです。」
「ああ、UNESCOのやつね。このぺーヤとディチャニにあるよ。ここからバスが出てるよ。」
このあたりの人に何度か訪ねたのだが、世界遺産(World Heritage Sites)という単語があまり通じない。UNESCOと言うとたまに通じる。コソボ人にはあまり知られていないのだろうか。

バスターミナルの窓口に行くと、デチャニ行きのバスは14時30分発で所要時間は2時間、ぺーヤ行きのバスは12時20分発で所要時間は1時間だという。今は12時過ぎだ。時間も距離もちょうど良いので、私はぺーヤ行きのバスに乗ることにした。

念のために、先ほど世界遺産について聞いたバックパッカ―に聞いてみた。
「このぺーヤは安全ですか?」
「ああ、多分安全だよ。」
「多分」という言葉がひっかかるが、安全のようだ。安全ならば行こう。そう思ってバスに乗ることにした。

「コソボ西部の街:ぺーヤ」
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ぺーヤの街並み。コソボビール「Peja」の産地。
バスターミナルの係員は一時間で着くといったが、なかなか目的地に着かない。2時間後、ようやく目的地に着いた。1時間も時間が違う。バスターミナルの係員は結構いい加減なようだ。

ぺーヤはプリスティナと違って小さな街だ。コソボのビール「ぺーヤ」はこの地で造られ、街のあちこちにこのビールの看板が建ち並ぶ。道路のまわりは建設途中の歩道がたくさんあった。バスに乗っていた時も、橋や道路を整備しているところが多く、生まれたての国が徐々に成長していくようだ。

現地に着き、ここからもう一つの世界遺産があるディチャニに行くバスがたくさんあれば、そこにも行こうと思って時刻を調べることにした。

バスターミナルにいる中年の男性に、ディチャニの行き方とどれくらいの頻度でバスがあるかどうか聞いた。しかし英語があまり得意ではないようだ。すると、近くにいた英語ができる女性がやってきて代わって話しを聞いてくれた。
「今日が日曜日だから、あまりバスがないと思う。ディチャニ行きのバスは通りのバス停よ。」
正確な時刻はわからないようだった。礼を言って
バスターミナルの出口に向かうと、少年が私について来る。なぜだろうと思っていたが、私が通りにあるバス停の近くに行くと、
「あのバスがディチャニ行きだよ。」
と言ってくる。どうやら私に案内をしようとしてくれていたようだ。だが、私は今すぐディチャニに行きたいわけではない。

そう言って、今はいいと言っても少年には英語が全く通じない。私が手を振って、
「バイバイ、ありがとう。」
と言ってもついてくるのだ。

ぺーヤのバスターミナルの近くに、旅行会社があったので、ぺーヤの世界遺産がどこにあるか訪ねようと中に入った。やっぱり少年はまだついてくる。

「このあたりにある世界遺産はどこですか?」
「何?世界遺産って何ですか?」
「UNESCOに登録されたものです。」
「UNESCO?このあたりにUNESCOはないわよ。」
どうやら彼女は国連の何かの事務所だと勘違いしているようだ。やはりコソボにおいて「世界遺産」の知名度は低いようである。私は質問を変えてみた。
「このあたりに大きな教会はないですか。」
「あるわよ。セルビア正教会のものがあるわ。」
多分それが世界遺産の教会だろう。」
「大きな通りを右に曲がってまっすぐ進んだら病院があるんだけど、その近くにあるわ。ちょっと難しくて口では説明できません。」
地図もないということなので、私はとりあえず言われた大きな通りを歩いて行くことにした。
念のために、
「この教会に行くのって安全ですか?」
と聞くと、旅行会社の係員はなんでそんなこと聞くのといわんばかりの顔をして、
「もちろんよ。安全に決まってるじゃない。」
と言う。やはり問題ないようだ。

話を終えると、私についてきた少年が、
「バスが来たよ!バスが来たよ!」
と大きな声で私に教えてくれる。だが、私は今バスに乗るわけではない。困っている私を見て、旅行会社の係員が少年に伝えてくれたので、少年は理解したようだ。

旅行会社を出たあと、また少年はついてきたが、もう一度、
「ありがとう。」
と言って手を振ると、少年は去って行った。どこまで私を案内してくれるつもりだったのだろうか。とても優しい少年だった。

「コソボの警察官」
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旅行会社の人に言われた道を歩いていると、警察署があった。警察官にもう一度詳しく聞こうと思い、行ってみる。

「大きな教会へはどうやって行けばいいですか?」
だが警官は英語が得意ではないらしい。大きな声を出して、別の英語ができる警官を呼んでくれた。
「教会へは、ふたつあるわかれ道を両方右に曲がれば行けるよ。途中、左手にアルバニア系の教会もある。大きな教会へは、だいたい3kmくらいかな。」
メモを取って良いかと言うと、簡単な地図を描いてくれた。とても親切な警察官だ。私が
「ありがとう。助かりました。」
と礼を言うと、警察官は、
「ようこそ新しい国コソボへ。良い旅を!」
と笑顔で答えてくれた。警察官はこの新しい国ができたことをとても嬉しく思っているようだ。コソボの独立は、人々に希望を与えているようだ。

「世界遺産への道のり」
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食べたハンバーガー(1ユーロ)
警察官に簡単に地図を作成してもらったので、私はその通りに歩いた。途中、レストランがあったので昼食を十分にとっていなかった私は食べることにした。

1ユーロ(130円)のハンバーガーを頼んで、店の外にあるテーブル席で食べた。外を歩いているときもそだったが、アジア人である私が珍しいのか、私のことを見てくる歩行者がたくさんいた。この辺りでは観光客もいないだろう。アジア人の私が珍しいのは当然だろうか。だが、
「こんにちは。」
と笑顔で声をかけると、
「中国人か?」
と話しかけてくる。
「日本人だよ。」
と言うと、笑顔ガッツポーズしてきた。私が会ってきたコソボの人は皆明るく、とてもフレンドリーだ。この前まで紛争があった国とは思えない。私の思った以上に良い国である。

レストランを出て、またしばらく歩くと、軍隊の検問所があった。軍服についている国旗を見る限りイタリア軍のようだ。NATO主体の国際部隊KFORのワッペンも付いている。このような検問所はコソボにたくさんあるのだろうか。だが、私は徒歩で何も聞かれず素通りすることができた。

検問所の近くには道路に沿って長い壁が建てられている。私はここが教会だと思って奥へと進むが、入口が見当たらない。向こうから歩いてきた少年2人に聞くと、
「軍隊がいたところが入口だよ。」
という。確かにそこに壁の中へ通じる門があったが、その門は軍隊のゲートで閉じられていたので、そことは思わなかった。

少年2人もその道を通るというので、ついていくことにした。
少年1人の英語はとても上手だった。どこで習ったのかと聞くと、
「学校とテレビだよ。」
という。聞くと、彼は言語学校(多分高校レベル)に通っていて、将来は大学で言語を学びたいのだという。しっかりした少年である。

「イタリア兵の尋問」
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この門が世界遺産への入口。あの奥に検問所があった。
イタリア軍の検問所に行き、
「教会に入りたいんだけど、いけますか?」
と聞いてみた。するとイタリア兵は、
「あなたがここを通って奥にいったのを見たぞ。何してたんだ。」
私を何か疑っているようだ。
「あの奥に教会の入口があると思ったんだよ。」
「教会に何の用だ?」
「ただ中に入ってみたいだけだ。」
そこで、イタリア兵が私の足を見て、
「あなたはサンダルを履いているので入ることができません。」
そういえば、厳しい教会の場合はサンダルを履いて中に入ることができないのだ。ここはその厳しい教会のようだ。だが、教会の中に入らず、外から眺めるだけならば良いだろうと思った。
「私のホテルはプリスティナにあって、ここに来るのに2時間かかった。中に入らないから外だけでも見せてもらえないか。」
そういうと、イタリア兵は、
「わかった。特別だぞ。私たちは適切じゃない人を中に入れないって教会側と約束しているんだ。絶対に中にはいるんじゃないぞ。」
そう言ってパスポートと引き換えに許可証をもらった。こんなに厳重な世界遺産は初めてである。それだけこの教会が攻撃対象になりやすいのだろう。だが、これだけ兵士が警備していれば安心である。

門をくぐり、塀で囲まれた教会の中に入る。まず中に入ったところは曲がった道があるだけ。この奥にいけば世界遺産の教会があるのだろう。

しばらくしてまた別の塀が現れた。妙に塀がたくさんある教会である。その塀をくぐる門の前にはイタリア兵の見張りがいる。すでに私のことは伝わっているようで、
「絶対に教会の中には入らないでください。」
と再度忠告を受けた。

「世界遺産一人占め!」
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世界遺産「ペーチ総主教修道院」
門をくぐると、そこには奇麗なお花がたくさん植えられている庭があった。そして大きな塔があり、その左手には美しい教会があった。庭の脇にはたくさんの木が植えられ、その奥には修道院の人々が暮らしているだろう家がある。これが、世界遺産「ペーチ総主教修道院」である。

教会建築物群は、セルビア大主教およびセルビア総主教の主教座にして霊廟という程だから、セルビア正教信仰者にとってはとてつもなく重要な修道院なのだろう。コソボにはこのようなセルビア正教の聖地があるので、セルビア人は自国からコソボをどうしても独立させたくなかったのだろう。それが紛争のきっかけにもなったと聞く。

世界どこでも、いつになっても宗教がらみの紛争は絶えない。人々を救うべき宗教が、人々を破壊しているのだ。この矛盾が解かれる日が来るのを願うばかりである。

話は変わるが、兵士に監視されながらとはいえ、観光客が全くいない世界遺産は初めてである。世界遺産一人占めだ。こんなことできるのは今ぐらいだろう。ぜひとも中に入りたいところだが、また日を改めることにしよう。

「マフィアのパーティ」
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マフィア?のパーティー
世界遺産を楽しんだ後、私はすぐにホテルのある首都プリスティナへ戻ろうとした。バスターミナルの近くで何やら音がすると思って中を見ると、ダンスパーティが行われていた。入口から中が見えたので写真を撮る。すると、近くの男4人組が、私に話しかけてきた。
「写真を撮るのはやめときな。このパーティはマフィアのパーティだ。すぐに逃げた方がいいぞ。」
なんとこんなに街の真ん中で昼間から堂々とマフィアのパーティが開かれているのか。私は早々とその場を去った。

私は何事もなく、無事にバスに乗ってプリシュティナに帰った。やはりこの辺りは危険なのだろうか。ここの住民は、マフィアがいるのが当たり前だと思っているから安全だと言っていたのかもしれない。

「プリシュティナにて」
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バスは2時間程でプリシュティナに到着した。良い時間なのでレストランで夕食を取った。コソボのレストランは安い。2ユーロ(260円)あればパスタが食べられるのだ。こんなに安いユーロ圏は初めてである。

リゾットがあったので、米が好きな私はリゾットを注文した。しかし、メニューを全く読むことができなかったので、適当に2番目にあったリゾットを注文してみた。値段は2.5ユーロ(325円)である。

すると出てきたのが、オムライスの卵の皮を取ったようなものだ。簡単なケチャップライスである。食べてみると、ケチャップに少しバジルを加えられているような味だ。なんだか物足りない感じがしたが、なかなかいけた。

レストランの帰りに、コソボのビール「ぺーヤ」を買った。値段は500mlで0・6ユーロ(81円)。安い。私が行ったどこの国にもビールがある。新しくできたばかりのこの国も例外ではないようだ。

だが、ビールは好きだがあまりビールの味を理解できない私でも、このビールはあまり口に合わなかった。なんだか味が薄い。あとで見ると、この「ぺーヤ」ビールにはプレミアムバージョンもあるのだとか。こちらのビールはおいしいのだろう。

「ホテルにて」
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ホテルではドミトリー(共同部屋)に泊まった。部屋にいたのは英国人とスペイン人。二人はとても良い人だった。値段が10ユーロの割には結構奇麗な部屋で、シャワールームも最近改装されたのか、とても使い心地が良かった。

私が階段を降りていると、ビールを飲む一人の白人がいた。話しかけてみると、ドイツ人で、年齢は22歳と私と近い。顔がゴツかったので、もう少し歳を取っていると思ったが、それは失礼だった。彼は今大学で社会福祉学を学んでいるという。以前は働いていたが、ライフスタイルを変えるために大学に通いだしたのだとか。今は長期休暇中なのでヨーロッパを回っているという。

彼が最初に訪れたのはスペインのバルセロナ。そこでは最低25ユーロもかかり、どこもホテルが満室だったという。あまり観光客がいないコソボとは大違いである。それにしても宿が高い、スペインに滞在するのは短期にしようと思った。

私たちが玄関近くで話していると、近所からうるさいとクレームが来てしまった。それじゃあ今から近くの店に行ってビールを買い、キッチンで話そうということになった。私は手元に荷物があったので、私が部屋に荷物を運んでいる間に彼がビールを買ってきてくれるということになった。とても優しい彼である。

キッチンに行き、再び私たちは話をした。ビールは一本しかなかったので2人で分け合った。お金を払おうとすると、
「いいよそんなの払わなくて。」
という。やはりとても優しい彼である、

ドイツで一番のビールは何かと聞くと、地方によってたくさんの種類のビールがあるので、どのビールが一番かは何ともいえないという。ただ、ベルリン出身の彼がお勧めするベルリンのビールはSternbargというビールだ。早速試してみた。ヨーロッパ諸国でよく見るドイツのビール「Beck's」は、広告で売上を伸ばしているだけのビールで、味はそんなに大したことないという。今度自分の舌で確かめてみることにしよう。

「コソボへ移住するアメリカ人」
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私たちがキッチンで話していると、メガネをかけ、長いストレートヘアで、左手が鍵の手となっている黒人が入ってきた。彼はシカゴに住むアメリカ人だという。

彼はなんとシカゴからこのコソボに移住しようとしているというのだ。このプリスティナは平和だとはいえ、政情が完全に安定しているとはいえないこのコソボになぜ移住しようというのか。

聞くと、このあたりの人々はとても親切でフレンドリーだし、物価も安くて住みやすいからだという。

ここ首都プリスティナでは、アメリカ人は歓迎されるように思う。なぜなら、街のいたるところにアメリカ前大統領のビル・クリントンの名前があるからだ。アメリカはNATOを率いて、コソボ独立に手を貸した。なのでとても感謝されているのだろうか、街の中心には彼の大きなポスターが貼られ、「ビルクリントン通り」という道までできているから驚きである。

だが、独立に反対だったセルビア人達の集落もいくつかあるため、場所によってはあまり歓迎されないかもしれない。彼はそれを承知でこのプリスティナに来るようだ。ここでは英語の教師をやりたいのだという。彼が希望通りの良い人生が送れることを願うばかりだ。

「ミトロヴィツァ」
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コソボには、川を隔てて未だにセルビア人とアルバニア人が対立する街がる。ミトロヴィツァという名の街だ。北側にセルビア人が住み、南側にアルバニア人が住んでいる。コソボでは特に危険な地域だろうと思っていた。だが、キッチンで話していたアメリカ人は、
「別に行っても問題ないよ。アメリカ人だった私が大丈夫だったんだから日本人が問題あるはずがない。3ユーロで、30分程度で行けるよ。」
そんなに近くて行きやすいのなら、行ってみようか。少し不安もあったが、それが一体どんな場所なのか、好奇心が湧いてきた。明日はこのミトロヴィツァに行ってみることにしよう。

タケノコ

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