7月26日 ボスニア・ヘルツゴビナ(1):モスタル「紛争の傷跡」

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ボスニア・ヘルツェゴビナ:モスタル あちこちに紛争の跡がある

「バス・ターミナル泊」
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昨日の夜も、バスが夜2時頃到着したのでバスターミナルで寝た。最近バスターミナル泊が多い。夜中にホテルを探すこともできるのだが、節約のため私はバスターミナルに泊まる。

しかし、やはり昨夜も、ドブロブニクと同じようにバスターミナルで寝るバックパッカ―がいない。バルカン半島での野宿はやはり危険なのだろうか。

「ホテル探し」
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泊まった宿Buric Habia(5ユーロ:650円)
事前に調べておいた情報によると、モスタルの宿は安いと聞いた。私がよく宿の予約に使用する「HostelClub.com」のサイトを見ても、最低10ユーロ(1300円)。このサイトを使うと手数料が2ユーロ(260円)かかるので、このサイトに書いてある宿を探し、自力で部屋をとることにした。

サイトに貼り出されている地図を見ながら歩くが、なかなかホテルが見つからない。通りすがりの人に道を聞いても、なかなか見つからない。

この辺りは、まだ朝7時頃だからだろうか、人影がものすごくすくない。通りにまるで人がいないし、あまり車の音も聞こえない。街のあちこちには、ユーゴスラビア紛争で廃墟と化した建物が今でも残る。古い家々には弾痕のような窪みが無数にあるものもある。

10年前以上に終わった紛争の跡は、今でもたくさん残っているのだ。また、外務省の海外安全情報ホームページによると、未舗装の道路や野原に入ると地雷がある危険性があるという。うかつに歩き回ることはできない。

歩いていると、宿を示す「ROOMS」の看板があるので、一軒一軒回って値段を聞いてみることにした。一軒目を訪ねると、値段はやはり一泊10ユーロ(1300円)。安い。早速お願いしたいところだが、あいにく満室だという。再び歩きだし、しばらくするとまた「ROOMS」の看板があった。しかも、そこに「10ユーロ(1300円)・5ユーロ(650円)」の文字が書かれているのだ。5ユーロ!安い!私は空室がありますようにと願い、ホテルのチャイムを鳴らす。

「空室あるよ。とてもきれいな部屋で10ユーロね。」
「5ユーロの部屋もありますか?」
「あるよ。5ユーロの部屋は下の階だ。」
そう言って部屋に案内してくれた。同じ部屋には、ボスニア・ヘルツゴビナの言葉を話す中年男性がいる。言葉は違うが、「ジャパン」「ツナミ」「カラテ」などの言葉を並べて会話をしてくるとても気さくな人だ。

宿の主人が、
「コーヒー飲むかい?」
と言ってサービスしてくれた。宿の主人はチェスが大好きなようで、私の部屋にいる客と6時間もチェスをしたことがあるようだ。宿の主人の本職は高校の教師で、技術を教えているのだという。学校ではとても優しいのだろう。

私はコーヒーを飲んで一服し、すぐに街へ出た。

「物価の安いボスニア・ヘルツゴビナ」
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ここモスタルには、世界遺産の橋がある。まずはそこへ向かうことにした。

途中スーパーがあったのでここで水を買った。クロアチア・ドブロブニクの水は飲めたが、この国の水は飲めるかどうかわからなかったからだ。水は500mlで、0.5マルク(約33円)だ。

ボスニア・ヘルツゴビナの物価は安い。ビールも500ml1マルク(約66円)、店頭で売っているアイスクリームも1マルク(約66円)。とにかく安い。私のような旅行者にはありがたい国である。

「世界遺産『スタリ・モスト』へ」
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世界遺産『スタリ・モスト』。奥の橋がそう。

次に私が向かったのが、世界遺産の橋「スタリ・モスト」だ。世界遺産の橋は宿から20分程度歩いたところにある。徐々に旧市街になっていき、道は石畳となっていく。

橋に行くまでの道沿いには、たくさんのお土産屋などが並ぶ。紛争中で使用されたであろう軍隊のヘルメットやナイフ、銃弾で作られたペンなども置かれている。

そしてお土産屋街を抜けると、世界遺産の「スタリ・モスト」が現れた!幅は小さな橋だが、高さは結構ある。wikipediaによると、全幅4m、全長30m、高さは24m。地元の人はこの橋から飛び込むそうだ。すごい。

川は深く、そこが見える程透き通って奇麗だ。川の周りにはジャンプ台があり、そこから飛び込む人が数名いる。カヌーなどの姿もあり、このあたりは良い川の遊び場のようだ。

この橋は小さいので、最初何故世界遺産なのかよくわからなかったが、調べてみるとこの橋は1566年頃、9年の歳月をかけて完成された、世界で唯一のシングル・スパン・アーチだったという。

さらに、1992-1995年に起きたボスニア・ヘルツゴビナ紛争では一度破壊されてしまったのだが、まだ反目や疑念のあったコミュニティーの和解を意図に、2004年に再建された。

こうした歴史的背景から、「スタリ・モスト」はボスニア・ヘルツゴビナにおいて初めて、2005年に世界遺産に登録された。なるほど、世界遺産に登録されたのも納得できる。

「スタリ・モスト周辺散策」
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スタリ・モスト近くにインフォメーションがあったので、あまりモスタルの知識がない私はそこを訪れた。

インフォメーションでは地図と写真が載った大きくてわかりやすいパンフレットを無料で配っていた。モスタルのインフォメーションは親切なようだ。

パンフレットには、きれいな滝の隣に大きなモスクのある奇麗な景色が広がる写真が載っていたので、是非行きたいと思ってインフォメーションの人に聞いてみる。すると、バスの乗り場から時刻表まで丁寧に教えてくれた。とても親身なインフォメーションである。

「ランチ」
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物価の安いここボスニア・ヘルツゴビナでは安くたくさんおいしいものが食べられるだろうと期待したが、なにせここは観光地。そこまで安いレストランはなかった。ならばせめて夕食にとっておこうと思い、昼食は軽食で済ませた。

スタリ・モスとの近くに、イングリッシュ・パイが一切れ1ユーロ(130円※観光地なのでユーロも使える)で売られている。味がポテトとチーズ、アップル、そしてミートがあったので、私はミートパイを頼んだ。

出てきたのは大きなパイ。これで1ユーロは安い。早速食べてみると、最初はイケるのだが、食べ終わる頃にはパイの脂っこさと、肉しか入っていないその単純な味に飽きが来る。なぜひとつの具材しか入れないのだろうか。しかし、お腹は膨れたので、ひとまず満足した。

「滝へ」
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次に向かったのが、先ほどインフォメーションで紹介してもらった、モスクと滝だ。バスではお金がかかるので、せっかく時刻表と乗り場を教えてもらったのだが、歩いて行くことにした。バスで20分というので、十分歩ける距離だろう。

歩いていくと、徐々に郊外に出ていく。ここモスタルには、教会とモスクが共存するなんだか不思議な街だった。イスラム教徒が多いのか、道の脇にある墓地にはたくさんのイスラム式の墓があった。十字架のある墓はまばらである。

しばらく歩いても、地図に載っている曲がり角がなかなか見えてこないので、道の脇で談話している待ち人に、パンフレットに載っている写真と地図を見せて道を聞いた。

すると、今日なんと世界遺産「スタリ・モスト」で飛び込み大会があるからそちらを見た方が良いと教えてくれた。今日しかやっていないというので、私は滝とモスクを明日に預け、再び「スタリ・モスト」へと引き返した。

「スタリ・モストの飛び込み大会」
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世界遺産『スタリモスト』からの飛び込み大会

スタリ・モストに帰ると、先ほどはなかったたくさんの広告がスタリ・モストに貼られている。大会のスポンサーだろう。こんなにたくさんの広告があるということは、結構大きな大会なのだろうか。周りにはテレビカメラもスタンバイしていた。

飛び込みが良く見えるポジションを確保しようと、川の下に行こうとしたが、先ほどは無料でいけたのに、チケットを買わなければいけなくなっていた。値段は5マルク(約325円)。だがせっかくなのでチケットを買って川の下に行く。

入口でチケットを買うと、手に持っていた先ほど買ったばかりの1.5リットルサイズの水のペットボトルを捨てられた。イベント用に設置された売店で新たに買わせるようにするためだろう。せっかく買ったばかりなのに問答無用で取られてしまった。

まだ開始1時間前だったので、橋が見渡せる良いポジションを確保することができた。橋からは、練習だろか、数名が既に飛び込みを行っている。中には女性の姿もあり、観客からはその勇姿に拍手が巻き起こっていた。

そして本番を迎える。白い服を着た20名ほどの人々が橋に立ち、川に向かって何かを投げる。隣にいた人に聞くと、花を投げているのだという。紛争でなくなった人々に捧げるものだ。皆花が投げられる時には立ち上がり、冥福を祈っていた。紛争があったのはほんの10数年前。街にはまだたくさんの紛争の傷跡が残り、当時の様子が目に浮かぶ。当事者でない私でさえも悲しい気持ちでいっぱいになってきた。

開会式が終わり、いよいよ飛び込み大会が開かれる。たくさんの人々が次々に飛び込み、審査員がその美しさを判定し、点数化する。オリンピックのように回転したりひねりを加えたりしてジャンプするのではなく、ただ空中でいかに良いポーズで静止したままジャンプできるのかを競っているようである。意外と難しいようで、多くの参加者が空中で手を動かしてしまったりしている。皆真剣そのもので、飛び込む前には多くの参加者が自分を落ち着かせるために深呼吸をしていた。

美しいジャンプには拍手と歓声があがり、審査員の点数が低すぎるときにはブーイングが巻き起こる。

競技は長時間に及んだので、私は1時間程見て会場を後にした。

「ボスニア料理」
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ボスニア料理CEVAPCICI。中には小さなハンバーグのみ。

ボスニア・ヘルツゴビナは安いので、せっかくだからこの土地の料理を食べてみようと手頃なレストランを探した。

すると、6ユーロ(780円)のセットが見つかり、中身をウエイターに聞いてみると、
「ボスニアの料理とデザート付だよ。」
というので、早速中に入る。レストランはネレトバ川沿いにあり、席からはスタリ・モストが見える。とても良い席だ。

楽しみに料理を待っていると、まず出てきたのが、サラダとスープ。スープはビーフ・スープのようだ。スープの中に麺が細かく刻まれたものが入っている。

サラダはキュウリとトマト、そして玉ねぎのようなものが刻まれたものが皿に盛られているだけだ。赤ワインのような味のするドレッシングでサラダの味付けをする。スープはおいしかったが、野菜に新鮮味があまりなかった。スーパーに行ってもしなびた野菜が並ぶことから、やはりこのあたりの人々は、日本人ほど新鮮さを求めないのだろうか。

次に出てきたのは、ボスニア料理Cevapcici。カリカリでオリーブオイルがかけられた大きなパンに、小さなハンバーグが無数に入っている。周りにある少し熱しただけの玉ねぎとトマトを好みで挟むようだ。

私はハンバーグだけでは寂しいので、玉ねぎとトマトをパンにはさんで、Cevapciciにかぶりついた。

正直なところ、私の口にはそこまで合わない。オリーブオイルがパンにもかけられているため、とても脂っこいこと、そしてハンバーグにほとんど味がないので、とても味が薄いこと。入っているのは玉ねぎと1スライスのトマト、そしてたくさんの小さなハンバーグだけであるそのシンプルなつくりが、この大きな料理を全て食べ終わるのに飽きを起こさせるのだ。私は残すのが嫌いなのですべて食べ終えたが、最後は若干気持ち悪くなっていた。

最後に出てきたデザートは同じくボスニア料理Hurmasicaというもの。とても甘かったが、先ほどの料理の良い口直しになった。

今日一日を振り返ると、ボスニアはとても物価が安く、暮らしやすい国だが、料理は私の口に合わない。

「宿へ」
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宿に帰る途中、料理の影響でまだ少し気持ち悪かったので、口直しにボスニアのビールをスーパーで購入した。見ると、モンドセレクションのマークがついている。ビールはおいしいようだ。たった1マルク(約65円)という値段も有難い。私はすぐに公園のベンチで飲んだ。

宿に帰ると、店の主人と客が庭のテーブルでチェスをしている。やはり店の主人はチェス好きのようだ。話してみると、客は私の聞いたことがないヨーロッパの国の人。

私は部屋に入り、疲れていたのですぐに寝た。

タケノコ

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