9月3日 リトアニア カウナス:「6000人のユダヤ人を救った日本人」

杉原 千畝 from wikipedia

オスカー・シンドラー。
本ブログでも紹介したのだが、自身の全財産をつぎ込んで多くのユダヤ人を救った人物として知られる人物。スピルバーグ監督の映画『シンドラーのリスト』で一躍有名になった。

だが、日本人にそのシンドラーの何倍ものユダヤ人を救った人物がいる。

杉原知畝(すぎはらちうね)。
元在カウナス日本領事館領事代理。外交官だ。

その職権を利用し、当時ナチから迫害を受けていたユダヤ人達を欧州から日本経由で脱出させるため、日本の通過ビザを何千枚も発行し、6000人ものユダヤ人を救ったのだ。

当時日本とドイツは同盟を結んでいたため、政府はビザ発給を了承しなかった。だが、杉原はその命令に反して、自分や家族の命にかけてビザを発給し、彼らを救った。

彼の評価は高い。リトアニアの首都には「スギハラ通り」が作られ、ユダヤ人国家イスラエルからは日本人では初で唯一の「諸国民の中の正義の人」として「ヤド・バシェム賞」を受賞。死後も、ポーランド政府から実質最高位の勲章である「ポーランド復興勲章コマンドルスキ星十字型章」が贈られている程だ。

その杉原がユダヤ人を救った場所が、今自分のいるリトアニア第二の首都カウナスである。今でも当時の領事館が杉原博物館として残っている。

果たしてどんな場所なのだろうか。自分の目で確かめに行ってみた。

「警官と再会」
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「おい!」
寝袋をポンと叩かれ、自分は起きた。寝袋を叩いてきたのは警官二人。昨日バスターミナルのベンチで寝ていた時に注意してきた警官と同じだ。警官に再び見つからないようにと、駅近くの影で寝ていたのだが、また見つかってしまった。

「パスポートを見せなさい。」
パスポートを出し、渡航履歴を細かくチェックされる。だが、別に法に違反しているようなことをしているわけではないと思ったので、問題ないだろうと思っていた。案の定、すぐにパスポートを返され、特に質問をされることもなく、
「あっちに街があるから街の方に行きな。良い一日を。」
と、あっさりと立ち去って行ったのだ。意外にも優しい警官二人である。

「隣国ポーランドに行きたい!」
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リンゴとバナナ、ヨーグルト。これが今日の朝食。値段は約2.5(約100円)だ。リトアニアの物価はバルト三国の中で一番安い。

開店時間になって、ようやくバス会社が開店、ワルシャワ行きのバスを調べる。値段はユーロに換算して29ユーロ(約3980円)で、時間は12時半出発だ。だが、この値段ならば、鉄道の方が安いのではないか。自分の持つ鉄道パス「Interrail Pass」はポーランド国境から使える。

鉄道駅に行き、値段を聞いてみると、学割が効いて27(約1200円)でポーランドとリトアニアの国境まで行けるという。電車の発車時刻は12時44分。こっちの方が断然安いので、電車でポーランドの首都ワルシャワを目指すことにした。

国境まで向かうのに電車の切符は4枚。あまりに多さに驚いた。1枚に収めて欲しいところである。

「杉原知畝博物館へ」
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ポーランドへの交通手段を確保したところで、行きたかった杉原知畝博物館へと向かった。博物館は駅から歩いて30分ほどの場所にある。

この街の滞在期間は短いので、今回は重さ20kgの荷物を預けず、街を歩くことにした。だが、やっぱり長い時間しょっていると肩が痛んでくるが、ここは我慢だ。

自分が道に迷っていると、街の人がこっちにあると指をさしてくれる。別に何も聞いていないのに、こっちだと指をさしてくれるということは、多くの日本人が杉原博物間に行くのを街の人が見ているからなのだろう。

しばらく歩くと、
「命のビザ」
と日本語で書かれた門がある。間違いなくここだ。中に入ると、一人の女性がいる。私の姿を見ると、
「違うわ。こっちじゃなくてそっちよ。」
この建物は地元の大学の日本学研究センターも併設されているようだ。リトアニアに日本学の研究施設があるとは、日本も捨てたものではない。

博物館の入り口の鍵は閉まっていた。ベルがあるので鳴らしても誰も出てこない。しばらくして、黒いBMWが建物の前にやってきた。もう一度ベルを鳴らすと、
「私だ!そのベル先は私だよ。」
BMWから出てきた白髪のおじさんが私に向かって叫んでくる。どうやらこのベルの先はおじさんの携帯へと繋がっているらしい。

おじさんはすぐさま鍵を開け、自分を中に案内してくれる。この博物館にはあまり人がこないのだろうか。

入館料の10(約400円)を支払うと、おじさんは私に日本語のビデオを見せてくれた。杉原知畝についての短いビデオだ。そのビデオには杉原の勇士が良く映し出されていた。

リトアニアのソ連併合によってリトアニアの領事館は廃止され、杉原はベルリンの領事館へ移動されることとなるのだが、彼はベルリン行きの電車が出発する直前まで、電車の中でユダヤ人にビザを書き続けたというのだ。その様子がビデオで再現され、杉原のその命を救う思いの強さが伝わり、とても印象的だった。

館内には杉原が救ったユダヤ人の紹介がなされている。ユダヤ人一人一人の人物像を知ると、命の重みを実感でき、杉原のしたことは本当に素晴らしいことなのだと改めて感じることができた。

この博物館は十分に行った価値のあるもの。もしこの近くを旅行される方は行くべし!

「街を散策後、出発!」
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博物館に行った後はカウナスの街を散策。カウナスはリトアニア第二の都市というが、そんなに大きな街ではない。ただ、何本の木がきれいに並ぶ並木通りは美しかった。

電車の時刻が迫っていたので、電車の中で食べるパン等をスーパーで買い、駅へと向かった。

「ワルシャワへ」
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ワルシャワへ向かう電車は、定刻通り12時44分に発車。この辺りの鉄道は電化されておらず、走る電車はディーゼル車。なのでとても音がうるさい。

車窓は広々とした畑が広がっている。とてものどかな国リトアニアである。

2回乗り換えをしたあと、ワルシャワへ向かう国際列車に乗る。列車は指定席となっているので、自分の席がある個室を探した。個室は8人席だったのだが、なんと満席。ひとつの個室にギューギュー詰めである。この状態で5時間以上も電車の中にいなければならないのか。そう思うと気分が下がる。

少し経ってほかの乗客が、
「この部屋満室だけど、ほかの部屋はガラガラよ。」
この広い車両の、この一室だけに客が集中しているのだ。何を考えてリトアニアの鉄道会社は客の指定席を決めるのだろうか。少し笑ってしまった。

他が空いてるというので、個室にぎゅうぎゅう詰めだった乗客は分散することに。これで快適に過ごせるようになったわけだ。

「スイスから来た乗客」
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同じ個室には、同じように北欧からバルト3国に入ってきたスイス人旅行者2人がいた。

うち一人は金融機関で働き、マクロ・インベストメントという小規模な投資を発展途上国で行う仕事をしているのだとか。
「もうけは少ないけどやりがいがあるよ。」
そう笑顔で話してくれた。

もう一人の方は大学院で修士号の取得を目指しているのだとか。

二人とも23歳。自分と年齢が近い。二人とも以前、スイスの大手金融機関UBSで働いていたという。UBSといえば、最近業績は落ち込んでいるものの、日本にも進出する世界を代表する金融機関である。

スイスでは、一週間の半分働いて半分学校に行くことができるシステムがあり、学校に通いながらUBSで働いていたそうだ。学校に行きながら職業経験を積むことができ、しかもお金を稼ぐことができるとは素晴らしい制度である。

日本にもこんな制度があればと思うばかりだ。

「ワルシャワ駅到着、そして出発」
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ワルシャワ駅に到着したのは午後8時半頃。自分は東欧に居すぎた。西欧の文化にもたくさん触れてみたいと思ったので、私はワルシャワを歩きまわることなくドイツに向かうことにした。

ワルシャワからベルリンには多くの直通列車があるが、私の持つ鉄道パス「Interrail Global Pass」では追加料金がかかってしまう。しかも深夜便だと多くの場合で値段が増す。聞いてみると、値段は14ユーロ(約1820円)。高い。追加料金を支払わずにベルリンに向かう方法はないのか。鈍行を使えばあるはずである。

だが、インフォメーションに聞いても
「ない!ベルリンへは直行便だけだ。」
の一点張りである。そんな馬鹿な。ないはずがない。よほど自分に追加料金を払わせたいようである。

自分で地図でルートを調べ、ほかのインフォメーションに確認すると、やっぱり鈍行で、しかも夜行列車で全く追加料金がかからないルートがあった。頭の固いポーランドのインフォメーションには懲り懲りである。

数週間前にポーランドにいたので、その時の硬貨がまだ残っていた。その硬貨を全て使い果たすべく、ワルシャワ駅近くのフードコートへ。KFCのフライドポテトとロングバーガーのセットが5ズヴォティ(約150円)だったので、それを夕食に。残りの硬貨で1.5ℓの水を買った。

ここワルシャワから夜行列車でSzczecin駅を目指し、その後乗り換えて早朝のベルリン行きの電車に乗る。本当にインフォメーションで教えてもらった通り電車があるか不安ふぁが、そのルートがあることを信じて電車に乗った。

タケノコ

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