7月29日 ボスニア・ヘルツゴビナ(4):サラエボ「サラエボのトンネル」

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ラエボのトンネル出口。サラエボ市民は紛争から逃れるため、地下トンネルを作った。
「起床」
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今日は朝8時ごろ起きた。朝食付だったので、朝食を食べるために別の建物へ向かう。私の泊まるこのホステルは、レセプションや宿泊場所がすべて別の建物にあるので少々不便である。

朝食が出るレストランに行くと、昨日レセプションで会ったイタリア人がいた。彼は「パイレーツ・オブ・カリビアン」出てきそうな顔をし、長い髪型をしている。

一緒の席に座って色々はなした。彼は最初フランス語を話したのでフランス人だと思ったが、イタリア人で、少し話が食い違ってしまった。出身はミラノ。日本のことも詳しく、愛子さまの天皇後継問題について口にしていた。意外にヨーロッパでは知られているようだ。

「トンネルへの長い道のり」
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サラエボ市は紛争時都市包囲され、通りにでると周りに囲まれる山から銃で狙撃されるなどの恐怖があった。そのため、市民は空港の地下に長いトンネルを作ってサラエボ市内から脱出していたのだという。そのトンネルが今でも残っており、地図にも空港の下に点線で道が示されている。一度見てみたいと思って、市街地から歩いていくことにした。

ただ、その地下トンネルがある場所を示す地図を私は持っていない。まぁ空港までいけばなんとかなるだろうと思って、何も確認せずに出発した。

通行人に空港はどこかと聞く。すると、
「あと3kmもあるから、トラムを使いな!」
と言ってくる。モスタールでは10kmの荒野を走る道路を歩いたのだから、3kmくらいどうってことないだろうと歩いた。

だが、なかなか着かない。空港の看板が見え、やっとあと少しだと思ったが、そこから30分程歩いても着かない。やはり地元の人がトラムを使えと言ったらトラムを使った方が良いのかと思えてきた。ようやく空港が見えてきて、空港入口付近に辿り着いた。空港の前には「Tunnel 600m」という看板があった!やっとたどり着いたと思い、600m足を運ぶ。

「Tunnel」の看板があり、その矢印の向く方向へ行くが、何もない。あるのは民家と何かの修理屋のような場所だ。廃棄場には人が数人いた。そして、トンネルはどこかと聞くと、
「ここには閉鎖された入口しかないよ。空港の反対側に行けば博物館とかもあるよ。」
せっかくここまできたので、入口だけでも見たいと思い、聞いてみると、
「あれだよ。あれ。」
その指先はただの民家である。どうやら、この民家から脱出ルートであるトンネルがつながっているようだ。敵に気づかれないようにカモフラージュしてあるんだろう。今は閉鎖され、廃墟となっているようだ。


トンネル入り口。民家と変わらない。

私はぜひ反対側も言ってみたいと思い、道を聞いた。
「もし車を持っているならこの道路まっすぐ行って左に行けばすぐだよ。」
反対側ならすぐだろうと思い、私は懲りずに再び歩いていくことにした。

「破壊されたトンネル」
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聞いた通りに道を進むが、なかなか着かない。途中、住宅街を歩くが、度々行き止まりとなった。私は本当に反対側のトンネルにつけるのか…ちょっと不安になってきた。

もう少し大まわりでもいいから大きな道で行こうと思い、大きな道を探して進む。するとようやく空港の反対側に出た。

近くにトラムが通っている。助かった。トラムがあれば市街へ簡単に行ける。そう思ってひと安心である。ここで、市街から出発して3時間以上が経過していた。

トラムのある場所から空港沿いを30分ほど歩いた。歩いている途中、一人の通行人が道端に生えている木から木の実を摘んでいるた。野生でろう木の実を食べるのであろうか。あたり一面に草原が広がり、奥には空港が見える。道路には車が少なく、私一人立っているだけ。こんなところにあるのかと思って歩いていると、左手に古びた2階建ての建物が現れた。見ると、たくさんの弾痕がある。その数、その被害はすざましいものだった。そしてそこには「Tunnel」の文字が書かれている。やったー!やっと着いた!私は嬉しくなった。

その家の隣に手作り風の小屋がある。どうやらここが博物館であようだ。博物館というので大きな建物があるのかと思ったが、想像していたものと違っていた。扉を開けて中に入ろうとしたが、鍵がかかっている。ベルがあったので、ボタンを何度も押してみたが、誰もでてこない…

よくみると、扉には「9-16」の文字が書かれていた。もしかして16時で終わってしまったということだろうか。時刻はすでに17時を回っていた。ここまで来たが、どうやら中には入れないようだ。

だが、小屋の壁をつくる丸太の隙間から、中を覗くことができた。中には写真が掲げられている。紛争中の写真だろう。そしてフェンスで囲まれたトンネル入り口があった。入口は鍵が付けられ、中には入れないようになっている。中は危険なのだろうか。

この建物の隣に、もう一つ「Tunnel 2」と書かれている廃墟があった。そちらも気になったので、中を覗いてみる。

すると階段が見える穴があったので覗いてみた。階段の奥は爆破されたのだろうか、トンネルはもう埋もれて潰れていた。きっとこのトンネルが見つかって、この入口は激しい攻撃にあったのだろう。唯一の逃げ道であっただろうこのトンネルがこのような被害に遭った時の、サラエボ市民の精神的ダメージは大きかったに違いない。

「市街地へ」
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私はトンネルから徒歩でトラムの場所へ行き、トラムで旧市街へと向かった。道に迷いながら歩いて4時間以上かかったが、トラムでたった20分程度で着いてしまった。料金はたった1.6マルク(約93円)。だが、私は歩きながら様々な景色を見るのが好きなのだ。だから遠くても基本的に歩いて行く。

次に私は旧市街のアーケード街に行きたかったのだが正確な場所がわからない。トラムの中で、隣に座っていたおじさんに写真を見せて聞くと、丁寧に教えてくれた。全く英語が通じないので、写真や地図を見ながらの会話だが、一生懸命私に場所を伝えてくれた。

やはりこの国の人は、とても優しい人が多いような気がする。私が会った人々がたまたま優しかっただけであろうか。私はやはりこの国が好きだ。

アーケード街であるガジ・フスレヴ=ベグ・バザールは、旧市街であるバシュチャルシヤの中にあると言うので、探し回った。すると、たくさんの店が並ぶ場所にぽつりと横に長い建物があったので、ここだと思って中に入る。勘はあたったようだ。

ガジ・フスレヴ=ベグ・バザールは半地下になっていたので、入口で階段を降りた。中はトルコにあるような大きなアーケード街ではなく、ただ一本通りがあるだけだ。最近改装されたのだろうか、見た目がとても新しかった。私は個人的に、トルコにあったエジプシャンバザールのような歴史を感じさせるバザールの方が好きである。商売人も、トルコと違って積極的に商売をするという感じではなかった。今になってあのしつこかったトルコの商売人が懐かしくなってくる。

私がバザールに着いた時間が遅かったせいで、もうすでに半分の店が閉じ、少し閑散とした雰囲気となっていた。

「スーパーで夕食」
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スーパーで買った夕食。安い!
ホステルにキッチン設備が整っているので、私は今日こそ自分で料理を作ろうと思ってスーパーへと向かった。

スーパーはモダンなショッピングセンター「BBIセンター」の地下にあり、中は広々としている。スーパーを歩いていると、奥からおいしそうな匂いがしてきた。何かと思っていくと、そこにはたくさんのお惣菜が並んでいた。ヨーロッパのスーパーにお惣菜が並んでいるところをあまり見たことがなかったので驚いた。値段をみるととても安い。ボスニア・ヘルツェゴビナは山でとても川が奇麗なのにまだ川魚を食べていなかったので、川魚のフライを約2マルク(約130円)で購入。そしてサラダとツナ入りご飯を100gづつ(各0.7マルク:約42.5円)とパン(0.4マルク:約26円)、そしてビール(0.9マルク:約50円を購入した。合計4.7マルク(約306円)。だがとても豪華な夕食となった。

「ホテルへ」
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ホテルに帰ると、昨日いたフランス人たちがまだいた。今日はたくさん歩いた。彼らと少々話をした後、私はすぐに寝床に着いた。

タケノコ

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