8月2日 コソボ(2):プリシュティナ~ミトロヴィッツァ「民族を隔てる川」

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民族を隔てる川:イバル川を渡る橋

コソボは、去年セルビア共和国から独立を果たした。セルビア人から迫害を受けたアルバニア人。コソボに多く住むそのアルバニア人は、ついに自分たちの国を造り上げることができた。

だが、このコソボにもまだセルビア人は住み、アルバニア人とセルビア人は各々の共同体を形成している。

その象徴たる場所が「ミトロヴィッツァ」。イバル川を境に、北にはセルビア人のコミュニティーが、南にはアルバニア人のコミュニティーがあり、隣合わせなのにほぼ完全に別々に生活している。

この辺りは特に治安の悪いイメージだったが、宿で会ったアメリカ人はそんなことないという

ので、今日はそんな「ミトロヴィッツァ」に訪れてみることにした。


「起床」
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今日は午前9時頃に起床。今日は2つの場所を訪れたかったので私は急いで支度をした。ひとつは、私が今滞在する首都プリスティナ近くにある「グラチャニツァ」。そこにはコソボにある4つの世界遺産の内の一つ、「グラチャニツァ修道院」がある。もう一つは、冒頭で述べた「ミトロヴィッツァ」。治安面での不安はあったが、興味があったので行ってみることにした。

準備を整え、昨日買っておいたバナナと桃(合わせて約0.5ユーロ(65円))を食べた。

ホテルに荷物を預かってもらい、出発。昨日支払ったホテル代金のおつりがまだ返されていなかったので、請求したが、今回も用意されていなかった。

「バスターミナルへ」
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ホテルから歩いてバスターミナルへ向かう。途中のスーパーで、0.3ユーロ(39円)のヨーグルトを購入して食べた。朝はフルーツだけでは物足りない。ヨーグルトがとても安いので、最近毎朝食べている。

バスターミナルに行って、グラチャニツァへ行くバスはどこかと聞き、バス乗り場へ。バスはすぐに出発した。バスの料金はたったの0.5ユーロ(65円)。コソボは交通費も安い。

「セルビア人の街:グラチャニツァ」
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セルビア人の街にあるセルビア国旗
首都プリシュティナからグラチャニツァへはだいたい20分ほどで着いた。バスの終着駅ではなかったので、バスの車掌が降車場所を教えてくれ、バスを降りた。

グラチャニツァはセルビア人の街。アルバニア人が多数を占め、セルビアから独立したコソボでは肩身が狭いのかもしれない。コソボの街にはアルバニアの国旗がたくさん掲げられているのだが、この街はセルビア人の街なのでセルビアの国旗がたくさん掲げられている。

コソボで流通するのはユーロだが、ここではセルビアの通貨ディナールも使える。私はまだディナールを持ち合わせていたので好都合だ。

街を歩くと、首都プリシュティナではあまり見なかったNATO軍主体の治安部隊KFORの姿が目立った。やはりセルビア人の街は、コソボに多く住むアルバニア人に反感を受けるため、それだけ治安が不安定になりやすいのだろう。街の大きさはそこまで大きくないようだ。主要道路の周りに小さな店や家が立ち並ぶ程度である。

さっそく私は世界遺産への道筋を通行人に聞いてみることにした。一人だけに聞いても私の言いたいことが通じていない可能性もあるので、私はいつもなるべく多くの人に道を聞くようにしている。

世界遺産「グラチャニツァ修道院」は、バスの降車場所から歩いて10分程度の場所にあった。ここでもやはり治安部隊KFORが世界遺産の前に監視所を設け、厳重に警備をしている。この世界遺産が「危機遺産リスト」に加えられているからだろう。ここの管轄はフィンランド軍のようだ。だが昨日と違い、パスポートを預け、許可証をもらう必要はなかった。入っても良いかと聞くと、
「もちろんだよ。」
と軽く返事をしてくれた。

「グラチャニツァ修道院」
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世界遺産:グラチァニツァ修道院
中に入ると、古びた教会が現れた。これが世界遺産なのか。今回は、サンダルを履いて教会中に入れなかった教訓活かし、靴を履いてきたので難なく教会の中に入ることができた。

教会の中は撮影禁止だったので、写真はないが、中にはとても伝統の重みを感じる古いフレスコ画が天井に描かれている。教会の中は薄暗く、金色でできた祭壇らしきものは古見を帯びてギラギラ光り、教会の重みを演出している。

セルビア正教会に限らないかもしれないが、教会の中心には、キスをするためだと思われる、額に入ったイエスの肖像画がある。ベオグラードの教会に行った時は、信者は教会にある複数の肖像画にキスをしていた。教会のドアにもキスをする信者もいた。ドアを光に反射させてみると、たくさんのキスマークがある。今まで見た宗派で、ここまでキスをする宗派は初めてである。

だが、やはりこの世界遺産もあまり人がいない。教会の中にいるのは私一人。そして教会の外にある売店に2人の観光客もしくは地元の人間がいるだけだ。やはりコソボの世界遺産にはあまり人が来ないようだ。

そればかりか、このグラチャニツァ修道院が世界遺産に登録されていることも認知されていない。売店の人に、
「これが世界遺産に登録される修道院か。UNESCOに選ばれた修道院か。」
と聞いても、全くわからないようだ。外にいるフィンランド軍兵士数人に聞いて、ようやくここが世界遺産だと確認することができた。

「一度プリシュティナへ」
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世界遺産を楽しんだあと、ミトロヴィツァに向かうために一度プリシュティナへバスですぐに戻る。

ここグラチャニツァにはバス停の看板がないので、バス停の場所がわかりづらかったが、通りすがりの人がその場所を教えてくれた。

バスを待ってもなかなか来ないので、バス停近くのファースト・フードショップでハンバーガーを購入。セルビアのお金ディナールが使えたので150ディナール(約200円)で購入した。

ハンバーガーに入れる具を何にするかいつも聞かれるが、私はいつも全部入れてもらう。今回はトマト、キュウリ、キャベツ、ケチャップ、マヨネーズが入った。ボリュームたっぷりでおいしい。ハンバーガーを食べ終えたころ、バスがやってきたので乗車し、プリシュティナ戻った。

「ミトロヴィツァへ」
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プリシュティナのバスターミナルに戻って、すぐにミトロヴィツァ行きのバスへ乗る。

今日の夕方出発するアルバニア・ティラナ行きのバスのチケットをすでに購入していたので、間に合うかと思ったが、昨日宿にいたアメリカ人の話では30分程度で行けると言っていたので十分時間があるだろう。

ミトロヴィツァへは2.5ユーロ(325円)バスにはたくさんの人が乗っていた。皆ミトロヴィツァに向かうのだろうか。私の隣に一人の男が座ってきて、アルバニア語(?)で話しかけてきた。
「キーナ(多分中国人)?」
「日本人だよ。」
「どこにいくんだ?」
「ミトロヴィツァだよ。」
彼はそれを聞くと、顔の前で手を縦で左右に振った。どうやらミトロヴィツァがあまり好きではないようだ。セルビア人の近くに住むのが嫌だということだろうか。

アルバニア人はフレンドリーな人が多い。隣の男が話しかけてくると、後ろの男も私に話しかけてくる。そして反対側の席の人にいる男は英語が話せたので、通訳をしてくれた。

私と話した男たちは途中で降りる。帰りには握手を求められたので握手する。最後まで気持ちの良い人たちである。

「ミトロヴィツァ:アルバニア側」
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ミトロヴィツァ:アルバニア側

バスは1時間以上かけてミトロヴィツァに到着した。昨日のアメリカ人の話では30分ほどだったが、倍以上も違うではないか。

夕方に出発するアルバニア行きのバスに間に合うためには今すぐにでもプリシュティナに戻らなくてはいけない。だが、今日の目玉である街にせっかく来たのにすぐに帰るのは嫌だ。コソボのチケット売り場では、以前チケットの交換をしてもらえたので、夜にバスがあれば大丈夫だろうと思い。ミトロヴィツァをじっくり見て回ることにした。

バスターミナルから出て、道路に走る車を見ると、「アルバニ・タクシー」という名前のタクシーが走っている。どうやらこの場所は街のアルバニア側のようだ。

街の様子は、コソボにある他の街と変わりない。むしろ、私が行った他の街と比べると、とても活気づいているようだった。二つの民族がお互い別々に睨み合っている街なので、もう少し閑散としている街だと思っていたが、私の思い違いだった。

だが、やはりこの場所は治安が悪くなりやすいからなのか、たくさんの警察官や治安部隊KFORの姿がある。軍服についている国旗を見るとフランス国旗が付いている。このあたりの管轄はフランス軍のようだ。

街をセルビア人のコミュニティーとアルバニア人のコミュニティーに分けるイバル川の場所を知りたかったのだが、あまりアルバニア人に聞くと色々突っ込まれて厄介になりそうなので、両者に中立なフランス軍兵士に道を聞くことにした。

イバル川は、バスターミナルの前にある大通りをまっすぐ北に行けばすぐに着くとのこと。私は足を進める。途中、アルバニアとコソボの国旗がプリントされているTシャツ売り場があった。このあたりの人は他の地域以上に民族意識が高そうである。

「イバル川:民族を隔てる川」
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イバル川を渡る橋。誰も通らない。
道を進むと、見た目が新しい橋が現れた。これが街を隔てる橋だ。その向こうにはセルビア人の住むコミュニティーがある。

橋が見えてきたことから人の数が少なくなる。橋の近くに来ると、道路には全く車が通らない。あれほど賑わっていたのに、ここにくるとピタリと姿を消した。

橋の前には警察官が橋を警備している。橋を通ってよいかと聞くと、もちろん通って良いと言う。だが、橋を渡る者は誰もいない。ごく稀に誰かが渡るだけだ。川を隔てて、セルビア人のコミュニティーとアルバニア人のコミュニティーは完全に別れている。お互いの交流は一切なさそうだ。未だにアルバニア人とセルビア人はお互い睨み合っているようである。

橋の中心にはフランスの支援でこの橋が建設されたという記念碑が置かれている。
「この橋を作ったことに感謝しなさい。」
というシンボルは、日本に限らずどこの国が支援しても作られるようである。






「ミトロヴィツァ:セルビア側」
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ミトロヴィツァ:セルビア側。街は閑散としている。

橋を渡ってセルビア側に入る。賑わう街の中にあるのに車も通らないこの橋を、私たった一人で渡るのもなんだか妙である。

渡って早速現れたのが、セルビアの国旗だ。ここがセルビア人の街だと主張している。

街はアルバニア側と比べてとても静かだ。カフェにいる人もまばら。店の数もまばらである。アパートや店の廃墟が目立ち、どこか閑散とした雰囲気だ。

街の奥にある丘の上に巨大なモニュメントがあった。気になったので、街の住人に聞いてもボソボソ話して
「わかりません。」
という。なんだかこの街の人々は元気がない。

広場を見渡すと、一人一眼レフカメラを抱える若い白人女性がいた。この地の人間でない雰囲気である。こんなところに観光客がいるはずがないので、多分ジャーナリストであろう。丘の上にある巨大なモニュメントについて知っていると思い、話しかけてみると、やはりジャーナリストだった。スペイン人で、コソボの若者について記事を書くため取材しているのだという。
「私もあのモニュメントが何か考えていたの。このあたりの人はみんな静かで何を言っているのかわからないわ。」

このジャーナリストも同じことを考えていたようだ。コソボがセルビアから独立してアルバニア人を中心とする国となった今、セルビア人は肩身の狭い思いをしているからだろうか。空家が多いのは、この地からセルビアへ戻っていった人々の跡であろう。

街の奥へと進むと、小さな店が並んでいる。値札を見ると、すべてセルビア通貨ディナール表示だ。同じ国なのに、住む人々が違うだけで通貨も違う。

アルバニア人とセルビア人の対立は現在も続いているようだ。コソボは独立して治安も良くなっているようだが、この様子を見る限り完全に問題が解決しているとは言い難い。コソボは未だに複雑な国である。

「プリシュティナへ」
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バスに乗り、プリシュティナへ向かう。帰りの運賃は行きと違って3ユーロ(390円)。実は昨日ぺーヤに行く際も、行きと帰りで運賃が違っていた。運行するバス会社によって料金が違うのだろうか。

私の持つアルバニア行きのチケットは間に合いそうにない。後にもバスがあることを願ってバスへ乗車した。

「行き当たりばったりの目的地」
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プリシュティナへ着くと、やはり私の持つチケットのバスはすでに出発していた。

この後にもアルバニア行きのバスがあっが、私は荷物を宿に置いたままで、取りに行ってまた戻って来ることを考えると間に合いそうにない。

今日は諦めて明日のバスにするという手があるが、もう過ぎてしまったバスのチケットを無理して変えてもらうのは今日しかないと思ったし、早く次の場所を訪れたかったので、まだ間に合うバスがないか探した。

探すと、「ウルチン」という場所へ行くバスがあった。ウルチン、一体どこだ?ガイドブック地球の歩き方「ヨーロッパ編」に載っている地図を広げても載っていない。英語がなかなか通じないバスの窓口に地図を広げて聞いてみても、なかなか私が聞きたいことが解ってもらえないのか、手を振るだけである。

「ウルチンはどこの国?アルバニア?それともマケドニア?セルビア?どこですか?」
国名を挙げてどこにあるか聞いてみた。すると、
「モンテネグロ」
と答えた。モンテネグロ…この地球の歩き方の地図にはモンテネグロの部分だけ欠けている。通りで地図を見せても場所を示せないわけだ。

モンテネグロ…この国はセルビア・モンテネグロとして、セルビアと一緒に国を形成していたが、2006年に独立した新しい国。この国には行かない予定であったが、もう行先はここしかないので、モンテネグロのウルチンという聞いたこともない場所へ行くことにした。

もう出発してしまったアルバニア行きのチケットを出し、ダメ元で
「このチケットとうウルチン行きのチケットを交換できないか。」
と聞いてみる。すると、
「ウルチン行きまでは16ユーロだけど、特別に5ユーロでいいよ。」
と言う。交換まではいかないが、11ユーロも安くなるとはとても良いバス窓口である。こうして私はウルチンへのチケットを手に入れた。

「バスターミナルへのタクシー」
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ホテルに戻って荷物を返してもらう。朝払ってもらえなかったおつりの1ユーロはまた用意していなかった。文句を言うと、宿の主人が宿に泊まる人に両替してもらってやっと1ユーロのお釣りをくれた。なぜいつもおつりがないのか。なんだかいい加減なホテルである。

バスターミナルからホテルへは歩いて来たが、バスターミナルへは、バスが間に合いそうにないのでタクシーを呼んでもらった。

バスターミナルへ行くタクシーは、ターミナルの中に入るとそれだけで2ユーロ増額するそうだ。宿の主人とタクシーの運転手が知り合いのようで、絶対にターミナルの中に入らないようにと頼んでもらった。料金は3.25ユーロ。行きのときに相場を聞いていたので妥当だろう。ここは宿の主人に感謝である。

「バスの中のアルバニア人」
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私がモンテネグロにあることしか知らないウルチン。バスは定刻通りウルチンへ出発した。一体どんな場所なのか。こういう旅もたまにはわくわくして良いものだ。

バスの中で、名前を確認してもらうためにパスポートを出した時、周りの客が私が日本人であることに気づいたようだ。前にいた客2人が私に話しかけ、
「俺の名前をあなたの言葉で書いてよ。」
と頼まれた。彼の読んでいる本に書いてくれと頼まれ、書くと喜んでくれた。

2人は大学生で、私と同い年であった。背が高いので向こうの方が年齢が高く見える。専攻は国際政治だとか。プリシュティナにある大学に通い、今回は家族に会いに故郷のウルチンに帰るのだという。

聞くと、ウルチンはモンテネグロのアルバニア人が多く住む街なのだとか。地理的にアルバニアに近いからだろう。

なぜコソボの大学に行き、モンテネグロの大学に行かないのかと聞くと、コソボの大学では母国語であるアルバニア語で教えてくれるからだとか。とてもフレンドリーで気持ちの良い人達だった。

「みてみろよ、これがアルバニアの英雄の冠だ。」
彼は携帯の待ち受け画面に、オスマン帝国の支配からアルバニアを守った英雄の冠を設定している。
「どうだ?写真撮っとくか?」

アルバニア人家の前に国旗を掲げたり、自国の英雄のシンボルを携帯の待ち受け画面にしたりと、愛国心が強いように感じる。

異国人の私に対してとてもフレンドリーだが、自分の国のことを誇りに思っている。私が出会ったアルバニア人はこのような人が多かった。

タケノコ

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