7月29日 ボスニア・ヘルツゴビナ(4):サラエボ~モスタル「再びモスタルへ」

調理道具を忘れてしまったので再びモスタルへ…

「宿で会った日本人」
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朝8時ごろ起床し、昨日と同じように宿のレストランへ向かった。出てきた料理はトマトスープとパン、そしてジャムだ。10ユーロ(1300円)の宿で朝食付とはラッキーである。昨日はスープの代わりにゆで卵一つだったので、今日の方が良い。

しばらく一人で朝食を食べていると、同じく一人のアジア人がレストランに入ってきて、朝食をとっている。もしかして日本人かと思って声をかけるとやはり日本人だった。

聞くと、同じく大学4年生で、大学でゼミを3つも抱えながらもこのようにバックパッカ―の旅をしているそうだ。

彼はこれから自分が通ってきたモスタルに行くという。実は、私は重要な調理用具である鍋類をモスタルの宿に置いてきてしまったのだ。なのでそれをモスタルに帰り、その足でそのままセルビアのベオグラードに向かおうと思っていた。

行き先が同じだったので、私たち二人は一緒にサラエボからモスタルへと向かうことになった。

「バス停へ」
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バスは11時30分発。私たちが宿を出た時刻は午前10時だったので、まだバスの出発まで十分に時間があった。

私は日本語を使い、しかも同年代の人間とたっぷり話すことが久し振りだったのでとてもうれしかった。私たちは話をしながら歩いていると、いつの間にかバス停の場所を過ぎていた。通りから少し入ったところにあるので非常に解りづらかったのだ。私たちはすぐにもどって無事にバス停に辿りついたが、時間はまだ十分にある。

私たちはバス停のベンチで待つことにした。彼とは色々話した。就職活動のことや、彼が今までいったことのある国などだ。

彼はインドのガンジス川で沐浴をした後、なんとバタフライをしたというのだ。ガンジス川といえば、糞尿がただれ、死体なども浮いていることで有名な川。ここで泳ぐことは絶対にしてはいけないと聞いた。しかし彼はバタフライをしたというのだ。

彼は案の定腹痛を起こしたのだという。しかもその期間一か月だ。インドで買った薬を飲んだら一時的に回復したが、薬を飲まなくなったとたんに再び痛みが再発したのだという。その痛みと言ったら相当だという。ガンジス川ではやはり泳がない方がようさそうだ。

「モスタルへ」
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モスタルへはバスで3時間ほどで着いた。サラエボに行く時は電車。バスは山の上を登るので、主にトンネルを通る電車とはまた違った角度から外の景色を楽しむことができた。

モスタルにつき、私が行った宿に行く。この宿はたった5ユーロで泊まれる。しかも主人やいる人々がとてもフレンドリーなので好きだ。またここに来ることができて嬉しい。

宿の主人は私が忘れた鍋をビニール袋に入れてきちんと保管しておいてくれた。
「私の息子がサラエボに行く用があったから持たせることもできたんだけど、君の居場所がわからなかったからできなかったよ。」
親切な主人である。

彼もここが気に入ったようで、この宿に泊まることになった。私のベオグラード行き電車は18時30分。まだ時間があったので、一緒にモスタルを散策することにした。

「モスタル再び散策」
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モスタルの街は小さい。世界遺産のスタリ・モストを見て、同じ形をした小さな橋を見、そのあとにイスラム式の浴場を見る。すべてみるのに30分かからない。小さな世界遺産なので、彼もなぜだろうと疑問を持っていたが、歴史的背景などを説明すると理解したようだ。

モスタルの売店には紛争で使われた銃弾などでつくったペンなどが売られている。
「こんなものつくっちゃうなんてこのへんの人は面白いね。」
彼が言う。確かにこの前まで実戦で使われていた銃弾がこうして今はお土産用のペンとして売られているのだ。何か違和感を感じるが、多くの店で売られているところをみると、よく売れているのだろう。ただ、こうしたものが売られているということは、このモスタルには平和が訪れたということなのだろうか。

川がとてもきれいなので、彼は後で泳ぎに行くという。川は海のようにべたつかないので良い。私も時間があれば一緒に泳ぎたい。

「再びサラエボへ」
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宿に帰り、彼は洗濯をした。やはり洗面所で選択をすることはバックパッカ―の間でメジャーのようだ。彼は洗剤をペットボトルに入れて持ち運んでいた。ちょっとずつ使うのにも便利そうだ。私も真似をすることにした。

彼が、急ぎじゃないなら一緒に泊まって泳ぎに行こうというので、最初はベオグラードに急ごうかと思っていたが、私ももう一泊モスタルで泊まることにした。一泊5ユーロなので、宿代の節約にもなると思った。一緒にご飯をつくろうということにもなり、なんだか楽しくなってきた。

泊まるならと思い、私も溜まっていた汚れた服を洗濯していると、急に彼が、
「財布と携帯電話をサラエボに忘れた!」
と言う。一度宿に確認してみてはと言い、宿のパンフレットを渡すと、彼はすぐに宿の主人に電話を頼んだ。宿の主人はそこまで英語が得意ではないので、主人の娘がとってかわった。娘が私たちの泊まっていたサラエボの宿に電話すると、一時間後に折り返し電話をするという。彼は、
「そんな待ってられない!」
と言って、すぐにバス停に向かおうとした。しかし次のサラエボ行きのバスまで1時間ほどあったので、とりあえず折り返しの電話を待つことにした。しかし30分ほど経っても電話はこないので、私は彼をバス停まで送った。

彼が泊まらないのなら、私が泊まる理由もないので、私もベオグラードに向かうことにした。宿に戻り、今日の宿泊をキャンセルした。せっかくシーツを敷いてもらったのに悪いが、仕方がない。

電話代を1.5ユーロ請求されたので、私は彼の代わりに払って建て替え、バス停にいる彼に1.5ユーロを払ってもらった。

時刻になり、彼はバスでサラエボへ戻っていったのだ。久し振りに同年代の日本人と会えたのだが、残念な別れである。

「ベオグラードへ」
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ベオグラードへは夕方1日3本バスがあったが、私は一番早い18時30分に出発。所要時間はなんと12時間かかるという。

やってきたバスを見るととても小さい。このミニバスで12時間耐えるのか。古いのでとても揺れそうである。

ミニバスは案の定揺れた。山道を走り、S字カーブに揺らされる。こんなバスに長時間乗れば確実に車酔いすると思った。

「日本ODAのバス」
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途中、日本の国旗がついている路線バスを見かけた。そこには、「The People from Japan」と書かれている。日本のODAを通じて送られたバスだろうか。このバスをしばし見かけた。

ここで思うのが、このODAの偽善っぽいところである。このようなバスを見て、私たち日本人はどう感じるのだろうか。少なくとも私は恥ずかしく思えた。こんな宣伝するのに使うお金があれば、もっと他にも援助できるのではないかと思えるからだ。宣伝されているバスは一台だけではない。何台もある。何台ものバスに、「The People from Japan」の文字とマークを入れるのにいったいいくらかかっているのだろうか。こんなに恩を売るようなことをする日本のODAを見て、私はとても恥ずかしくなってきた。

「ベオグラードへのバス」
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バスは途中、停留所に30分止まり、ミニバスから大きなバスに乗り換えるよう言われた。揺れるミニバスから逃れることができて運が良いと思ったが、あいにく大きなバスもとても古いようだ。フロントガラスにはひびが生えている。大丈夫かと思ってしまった。

バスは出発すると、最初は5人ほど乗っていたのだが、最後には私1人しかいなくなった。大型バスに私一人である。とても不気味だった。このバスは本当に大丈夫であろうか。一日夕方3便もあるのに、なぜ私一人なのだろうか。奇妙でならない。

セルビアとの国境では、バスの中で入国手続きを済ませることができた。出入国スタンプは押されない。クロアチアからボスニア・ヘルツェゴビナに行く時もそうだった。何かの条約を結んでいるのだろうか。パスポートをスタンプでいっぱいにしたい私にとっては残念である。

バスは12時間走り続けるのだ。私は明日に備え、すぐに寝た。

タケノコ

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