7月14日 ギリシャ(7):アテネ 「パルテノン神殿はどこ?」



パルテノン神殿

「初めてのテント?」
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午前9時頃、私は起床した。昨日私がこのユースホステルに来た時に寝ていた人々はまだ寝ている。いったい彼らはいつまで寝ているのだろうか。

朝起きて、私の周りに置いておいたiPodがないことに気づいた。どこへ行ったのか。私はドミトリーの高い二段ベットの上に寝ていたし、私のそばにiPodを置いておいたはずなので盗まれる可能性は低いはずである。

よく回りを見ると、ベット横に下へ隙間があった。もしかしてこの下にiPodが落ちたのではないか。

そう思い、まだ部屋で2人が寝ていて
、薄暗い部屋でごそごそとザックから懐中電灯を取り出した。そしてベットの横の隙間が通じるベットの下に明かりを灯した。すると、やはり私のiPodが落ちていたのだ。

しかし、私の二段ベットの下にはまだ人が寝ている。私はその人を起こすか、その人を起こさないようにそっとiPodをベットの下から取り出さなければならない。

私はその人を起こすのは悪いと思ったので、起こさないようにそっと取り出す方法を選んだ。しかし、どのようにベットの下から取り出せば良いのだろうか。私は自分の持つテントの骨を組み立てれば長い棒が出来上がることを思い出し、このテントの骨を使ってiPodをとることにした。

すぐさま組立て、長い棒を作る。しかし、皆が寝ている部屋でこんな長い棒を持つとはいかにも不自然で怪しい。寝ている皆に気づかれないようにしなかれば!細心の注意を払ってベットの下にテントの棒を入れた。

テントの棒が地面に当たり、カチカチ音を立てる。これでは部屋の皆が起きてしまう。棒がもうすこしでiPodに届きそうだ!届いた!

そして私は音を立てないようにそっとiPodに棒を当て、ベットの下から取り出した。幸い、部屋の皆が起きた様子はない。私はほっとして自分のiPodを手にした。ベットの上にiPodを置いて寝るのはあまり良くないようだ。

この時、私は初めてテントの道具をこの旅行で使ったのである。次に使う機会は果たしてあるだろうか。

アテネ・インターナショナル・ユースホステル
開き扉式のエレベーター
「ホテルチェンジ」
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私は、この「Hotel Lozzani」があまり好きではなかった。入口はラブホテルみたいだし、気軽に座れるコミュニティー・スペースもない。あるのバーだけ。しかも夜中なのに廊下がうるさい。そこで、私は近くにある同じくユースホステルの「Athens International Youth Hostel」にホテルを変えることにした。

「Hotel Lozzani」のチェックアウトを済ませ、私は新たなユースホステルに向かう。10分程歩いて到着した。

このユースホステルは、一番下の階に雰囲気の良いコミュニティースペースがあり、インターネットも使うことができる。レセプションのおばさんはとても感じの良い人だった。値段は「Hotel Lozzani」と同じ17ユーロ。私はすぐにこのホステルのドミトリー(共同部屋)に泊まることにした。

レセプションで受付を済ませると、レセプションの人は、
「そこのエレベーター乗って行きな。」
と言ってくる。え?どこにエレベーターがあるのだろうか。見るとどこにでもある開き扉があるだけである。受付のおばちゃんに聞くと、どうやらこの開き扉がエレベーターのようだ。

開き扉のエレベーターなど聞いたことがない。ボタンを押し、扉を手動で開くと、狭いエレベーターがそこにあった。ボタンを押すと、目の前の壁がどんどん下へ行き、エレベーターは上へ昇っていく。こんなエレベーターは初めてだ。昇と、扉はもちろん自動
で開かない。手動で開けるしかないのだ。私は扉を押し、その開き扉を開けて3階に辿りついた。なんだか不思議な感じだ。

部屋に入ると、このドミトリーにはまだ人は入っていないようで、広々とした空間が広がっていた。私はこの、ドミトリーを一人占めできる瞬間が大好きである。

私は大きなザックを置き、私のベットの位置を確保して、すぐにアテネ市内へ飛び出した。早くギリシャの古代遺跡を見てみたかったのだ。

「アテネ市内」
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アテネは前にも述べたとおり、あまり治安が良くないようだが、昼間は街が明るく灯され、昨日の薄暗くて治安が悪い感じとは一転していた。しかし、街自体はあまり奇麗ではないように思う。

ホテルの近くから少しでると、Omonia(オモニア)広場に出る。どうやら、このあたりがアテネの中心街のようだった。私は朝食が取れる場所がないか探しまわった。

しかし、都会の中心部なだけあって、そのあたりで売られているものは高い。どの店も同じような値段である。街を見ると、イスタンブールと同じように露天商が並んでいる。露天商を見ると、周りの店より値段が安いようだ。私は露天商で0.80ユーロ(104円)の菓子パンを購入した。

そしてオモニア広場からパルテノン神殿があるアクロポリスの丘に向かうアティナス通りを歩いている途中、市場があった。私は市場が好きだ。国によって売られているものも様々だし、商売人もまた違う。それを目にするのが私は好きだ。

市場に入ると、小さなスーパーマーケットがあった。そこではストロベリーヨーグルトが0.58ユーロで売られていたので、菓子パンだけでは朝食が足りなかった私はヨーグルトを購入し、すぐに食べた。とても甘くておいしい。

マーケットを歩くと、果物がたくさん売られている。商売人は声を出して威勢が良い。市場はやはり活気に満ちている。イスタンブールの市場と違うのが、トルコ人よりも客に声を掛けてこないところだ。トルコ人はとても良く声をかけ、強引に買わせようとするが、ギリシャ人はそんなことない。そういう意味で、ギリシャ人はジェントルだ。

フルーツはとても安く、スーパーマーケットよりさらに安い。ブラックチェリーがなんと1kg1ユーロ(130円)で売られているのだ。1kgといったら一人じゃとても食べ切れないくらいの量である。こんなにブラックチェリーが安いのはトルコでも見たことがない。トルコより安いものがギリシャで発見できるとは思わなかった。

「パルテノン神殿はどこ?」
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アティナス通りを再び歩き、Monastiraki駅に到着。ここまでくると、パルテノン神殿のアクロポリスの丘は目の前だ。しかし、丘が高いのでこの位置からはパルテノン神殿は見えない。

そして私は、目の前にあるアクロポリスの丘を目指す。途中、さっそく左手に小さな遺跡が現れる。「アドリアヌスの図書館」だ。しかし、もはや図書館の面影はない。入場して中に入ることができたが、私は外から眺めて鑑賞した。大理石でできた柱の遺跡がたくさんある。まさにギリシャという感じがした。

私は人伝いにパルテノン神殿のあるアクロポリスの丘への入口を探し、先ほどの図書館から10分ほどで辿り着いた。

入口でチケットを購入する。チケット売り場の人が、
「あなたは学生ですか?」
と聞いてくる。どうやら学割が効くようだ。私は国際学生証を受付に見せると、彼女はなんだこれを言わんばかりにカードを見る。
「あなたは大学生?国は?」
質問に答えると、チケットを学割料金で売ってくれる。どうやら、この国際学生証の知名度はあまり高くないようだ。しかし使えることに越したことはない。

私は入口からパルテノン神殿のある方角へ向かう。パルテノン神殿はまだ見えない。早く見てみたいという一心で足を運ぶ。

そして丘の周りを半分一周すると、ようやくパルテノン神殿に行ける坂道が現れた。その周りには、「ディオニソス劇場」や、今も実際に使われている「イロド・アティコス音楽堂」がある。あまり見たことのない遺跡が建ち並び、胸が躍る。

パルテノン神殿へ向かう道は混んでおり、途中で列が止まった。近くにいたおばさんに聞くと、
「私たちもなぜかわからないのよ。」
と言う。多分人が混雑しているので入場制限でもしでいるのだろう。今日は平日だというのに、こんなに混雑しているとは思わなかった。

しばらく経つと、列は再び動き出した。まだパルテノン神殿は丘の上にあり、見ることができない。はやく見てみたいという気持ちが足を急がせる。そして、入口の門(プロピレア)をくぐると、ついに私の前にパルテノン神殿は現れた。

パルテノン神殿はとても大きく、大昔の人がこれを造ろうとすうるなら、ものすごい
労力を要したのだろう。色は真白いものだと思っていたが、少し黄色みがかかった色をしている。今は神殿を修復しているようで中には入れない。柵を越えて誰かが中に入らないように、神殿の前には係員がメガホンを持って立っている。
「そこの人たち、いますぐその場所を離れないさい。」
頻繁に係員が叫ぶ。結構厳しいようだ。

神殿は高い丘に聳え建つので、ここから見えるアテネ市内の景色はとても良い。無秩序に立ち並ぶ多くの建物や、渋滞する車はここがギリシャの首都だということを改めて認識させられる。

パルテノン神殿を見終え、アクロポリスの丘を降りると、私は少し日陰で休憩してから公園を歩き回った。

古代アゴラ・アタロスの柱廊博物館
「古代アゴラ散策」
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「Dancing Theater」という看板があったので、その矢印の方向へ向うが、なかなかそれらしきものが見当たらない。15分程歩いて、その入口を見つけたが、フェンスで閉められていた。どうやら今日はやっていないようだ。残念である。

私はそこから「古代アゴラ」という場所に行った。地球の歩き方「ヨーロッパ」によると、アゴラは「市場」を意味し、古代では政治家や哲学者、そして芸術家が議論を交わす場所としても使われていたようだ。

ここには「アタロスの柱廊博物館」、「テセイオン神殿」などがある。「アタロスの柱廊博物館」は遺跡の中で唯一完全に復元されたもので、その柱の連なる建物はとても美しかった。

「再び市場へ」
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古代アゴラに訪れた後、午後1時30分頃だったので、お昼を食べに再び市場へ向かった。

古代アゴラから市場に向かう途中、路地にたくさんの露天商が並んでいた。私はロードス島にいた時、防水機能が付いているはずの時計をつけて海に入ったら、水が入って時計が壊れてしまったので、腕時計を持っていなかった。なので、露天商の売る腕時計を見て回った。

気に入ったものがあったので、店の人に聞くと25ユーロ(3250円)だという。私が、
「15ユーロ(1950円)だ。」
と言うと、
「20ユーロ(2600円)でどうだ。」
と言う。私は20ユーロなら買わないと言うと、
「じゃあ18ユーロ(2340円)にするよ。」
と言ってきたので、私はそこで妥協し、18ユーロで腕時計を購入した。露天商での買い物は、この駆け引きが楽しい。

市場に着き、私は果物売り場に行った。先ほどブラックチェリーがとても安かったからだ。私は500g0.5ユーロ(65円)で購入した。早速広場に座ってチェリーを食べる。ここで売られているチェリーは、よく見ると4分の1くらいが腐っているように見えたので取り除かなければならない。日本ではこのチェリー、絶対に売れないだろう。

「肉市場へ」
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私は昼食を済ませたあと、果物市場とは別の市場に向かってみる。すると、そこは肉市場だった。

なんと、そこには子羊が真っ二つにされたものがたくさん並んでいる。こんなにあからさまに真っ二つにしたものを皆欲しがるのだろうか。しかも、その市場は匂いが少し異様であった。肉が売られているのにも関わらず、あまり清潔感がなかった。

ここで、トルコで会ったアメリカ人デイビットが日本について話していたことを思い出した。
「日本はとてもきれいな国なんだよね。地面に座ってもまったく問題無いと聞いたことがあるよ。」
この話を聞き、さすがに地面に座るのは行儀が良くないと言っておいたが、日本はとても清潔感のある国として思われているようだ。

まだ数か国しか行っていない私が言うのも難だが、私もその意見に同意だ。このアテネの市場等を見ても、日本と比べるとあまり清潔感がないように思う。

そこで私は、日本のように清潔感のある国だからこそ、「刺身」や「馬刺」などの生魚、生肉を食べる文化が成り立つのではないかと思った。外国人は、寿司は好きと言っても刺身を食べられない人は多い。それはこのように、生を食べることを前提としていない、あまり清潔感のある環境がないから、外国人は生物(なまもの)に拒絶反応を出すのではないか。

食に対してもっと清潔なイメージがあれば、世界にももっと生魚、生肉が受け入れられるようになるだろう。

「フェリーのチケット」
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私は市場を出て、再びアクロポリスの丘の周辺を歩いた。Monastiraki駅周辺には、たくさんのお土産屋がある。私はそこの店を覗いていると、フェリーチケット売り場を発見した。

明日フェリーでギリシャのパトラからイタリアのバリへ行こうと思っていたので、明日のフェリーを聞いてみた。

「明日のフェリーは50ユーロくらいするよ。明後日だったら31.50ユーロで行けるよ。」
その差約20ユーロ(2600円)。今日出発したかったが、これだったらもう一泊した方が割安だと思ったので、私は明後日のフェリーチケットを購入した。

そして私は再び店が連なる通りを歩くと、大きな大聖堂が現れた。ミトロポレオス大聖堂だ。見たところ、改修中のようである。入口には、「きちんとした服装で入館して下さい。」と書かれている。サンダルを履いている私はきちんとした格好とは言い難いが、何か言われるまで入ってみることにした。

中に入ると、ギリシャ正教らしく、中にはたくさんの聖人のフレスコ画が並ぶ。内装はとても豪華だ。私の教会のイメージはとてもシンプルなものだが、ギリシャの教会はフレスコ画がたくさん描かれていたり、たくさんの装飾がされていたりしている。中は小さな光で灯されているだけなので薄暗く、ここが神聖な場所だということを演じているようだ。

何も言われることなく、私は外に出ることができた。教会の係員の人と目が合ったが、何も言われなかったのでサンダルでもどうやら良いようである。

「ギリシャ国会議事堂」
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次に私が向かったのが、ギリシャの国会議事堂である。海外の国会議事堂とはどんなものなのか見るために訪れた。ギリシャの国会議事堂は白を基調とし、とてもおしゃれな建物だ。このスポットは意外にも人気なのか、たくさんの観光客で賑わっている。

国会議事堂の隣には、国立庭園が広がっている。国立庭園は、芝生や植物がしっかりと整備されており、さすが国立庭園といったところである。街中から一気に大自然の中に入ったので、気持ちよっくなって一度そこで休憩をした。

国立庭園から少し歩くと、ゼウス神殿が現れる。ゼウス神殿は、地図から見るとパルテノン神殿より大きいように見えるが、残っているのはわずかな柱しかない。しかし、その柱の大きさが、神殿が大きかったことを物語り、迫力があった。

「地下鉄爆弾テロ?」
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ゼウス神殿の近くにある「Acropolis」駅から、地下鉄で「Larissa」駅へと向かう。歩いて30分くらいで行けるだろうが、私はアテネの地下鉄に一度乗ってみたかったのだ。

私が乗ったアテネの地下鉄は、最近できたのだろうか、とても新しかった。きっとアテネオリンピックの時に新しく整備したのだろう。地下鉄はすぐにやってきて、私は乗車した。結構な人が乗っている。さすが首都である。

しかし、次の駅でたくさんの人がいきなり降りていった。そして、ここで乗ってきた乗客が私に、
「この電車はここで折り返しだよ。」
と教えてくれた。私は最初、ただ単にこの駅が終点なだけだと思っていたが、どうやらそうではないらしい。

私の行きたい方角へのプラットホームはなんと閉鎖されているのだ。係員に事情を聞くと、
「爆弾だよ。omonia駅(次の駅)に爆弾が設置された恐れがあるんだ。」
なんと、次の駅で爆弾の設置予告があったというのだ。こんなことは初めてである。わたしはしぶしぶ駅を出た。せっかく地下鉄を乗って楽をしようと思ったのに、一駅分しか乗っていないのが悲しかった。アテネの地下鉄は一度買うと、1時間半は乗り放題のようだが、私は駅がすぐ近くなので歩いていくことにした。

「駅の日本人」
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「Larissa」駅はアテネの主要駅。周辺各国や地方都市から列車がやってくる。私は、イタリアに渡る船が出るパトラへ電車で行こうかバスで行こうか選ぶために、この駅にやってきたのだ。

駅に行くと、ギリシャの首都の割には人の数はいない。バスにはたくさんの人が乗っていたにも関わらずだ。あまり電車が一般的な交通手段ではないのだろうか。

駅をうろちょろしていると、
「こんにちは。」
と日本語でいきなり話しかけられた。彼は私が
地球の歩き方「ヨーロッパ」を持っていたので日本人だとわかったそうだ。彼は今からメテオラという街に行くために切符を購入しているのだという。

私はメテオラという場所をしらなかった。知っているとすればメテオラといえばLinkin Parkのアルバムの名前だということだけだ。

彼にメテオラについて聞くと、ポストカードを見せてくれた。丸くて高く聳え立つ岩の近くに家が立ち並ぶ。とても面白い風景で、世界遺産だと言っていた。

彼はいかにもバックパッカ―というよりヒッピーのような格好をしている。ひげを伸ばしっぱなしである。私も最初、ひげを伸ばしっぱなしにしてみようとしたが、一週間で諦めた。私には似合わなかったからだ。

私はチケットを調べに来たので、彼とはすぐに別れた。

駅の案内所でパトラへの値段を聞こうとした。しかし、そこの案内人はここではなく、違うところへ行けと言う。そしてその案内所に行ったらまた違う場所へ行けという。そして、次の場所まで行ったら待ち時間がおよそ30分程かかると言うのだ。私は根気よく待ってると、一人の日本人のようなアジア人を見つけた。手に持っているのは「BUNKYODO(文教堂)」と書かれているカバーをした本だ。私は間違いなく日本人だと思い、声をかけた。

彼は社会人で、運輸関係の仕事をしているのだとか。やっと休みが取れたと言ってたのでギリシャを旅行しているのだと言う。私と同じ、サントリーニ島にも行き、そこで四駆を乗りまわしていたそうだ。次にミコノス島にも行くのだと言う。
「サントリーニ島は良かった。でも一人じゃちょっと寂しかったよね。あの場所は。」
私も同感だ。サントリーニ島はとてもおしゃれな街並みだが、そこにあるおしゃれなレストランに入るには、一人では少しさみしい場所である。周りにカップルが多いのもその原因だ。
「誰かと一緒に来ればよかったよ。」
ミコノス島に行くと、もっとさらにそう思うだろう。サントリーニ島やミコノス島をフルに楽しみたいのならば誰かと一緒に行った方がよさそうである。

「ギリシャの鉄道」
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30分経ち、ようやく私の順番がやってきた。そして窓口に行って、値段を聞こうとすると、
「あっちの窓口に行ってください。」
え?さすがの私も頭に血が上った。
「あっちの人がこっちこいって行ったんだよ。」
「あっちに行ってください。」
「30分も待ったんだ。パトラまで値段だけ教えてくれるだけじゃないか。」
「あっちに行ってください。」
いくら言っても教えてくれない。あっちの窓口だと言うだけである。私はもうさすがに面倒になり、今日出発するわけではないので諦めた。にしても駅員の態度にはあまり良い気分になれない。ギリシャの駅員は皆この駅の駅員のような人々なのだろうか。

「国立考古学博物館」
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先ほど会った日本人の人が、国立考古学博物館が19時半までだと教えてくれた。まだ18時を過ぎたところ。私は面白そうだと思い、向かってみることにした。

駅から15分程歩き、国立考古学博物館に到着した。国立考古学博物館の外見は、パルテノン神殿と同じような形をした柱が並び、古代ギリシャの建物を完全に復元したような建物だ。

入館料は学割で半額の3ユーロ(390円)。中に入ると、ギリシャ全土から集められた貴重なコレクションが数多く並ぶ。カメラの撮影をしても良いようなので、気入った作品を数枚写真に収めた。

この博物館はとても大きく奇麗で素晴らしいものだったが、館員の態度は日本では考えられないものだった。多くの館員が世間話をしているし、静かな館内で大きな声をあげて携帯電話で話しをしている館員もいる。これも日本との文化の違いなのだろうか。

1時間ほどして、私は国立考古学博物館を後にした。

「ユースホステルの日本人」
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ユースホステルのドミトリーに帰り、部屋でシャワー等を浴びていると、独りのアジア人がやってきた。最初日本人かよくわからなかったので、英語で出身国はどこかと聞くと、
「日本人だよ。」
と言ってくる。彼は千葉に住んでいる元会社員。転職するために会社を辞めたが、その合間を利用して2か月ほどヨーロッパを旅行するのだという。イタリアに2週間旅行したことがあると言っていたので、次の国がイタリアである私はさっそく彼に話を聞いた。

「シチリア島が最高だったよ。」
シチリア島といえば、他の日本人も勧めてくれた場所である。私は見たことがないのだが、映画「ゴット・ファーザー」の舞台となった場所で、とてもきれいで食べ物もおいしいそうだ。シチリア島へは、なんと次に行くバリから直通の列車が出ているという。私はバリの次はシチリアに行こうと決めた。

旅のことを色々話していると、やっぱり私の資金でヨーロッパを旅行するのは相当厳しそうである。これからは交通費を重点に置いて、あまり他ではお金を使うことを辞めようと考えた。

最初、自転車を購入してヨーロッパを回るのも手だと思ったが、あまり時間もないし、この思いザックをしょって行くには限界があった。なので移動はバスか電車を利用することにした。

すると、削れるところは食費と宿泊費である。私はテントを多用しようと考えたが、ギリシャはキャンプ禁止の場所が多い。大きな駅や港ならばそこで寝ることができるので、そこで野宿することにしよう。ホテルは野宿が不可能な場合に入ることにする。

このヨーロッパはやはり高い。旅行を成功させるためには、やむを得ないことなのだ。

タケノコ

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