7月3日 トルコ(4):イスタンブール 「最後のイスタンブール」

「ホテル出発」

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ホテルの昼食を済ませ、3日間お世話になったChillOut Hostelを出発した。このChillOut Hostel、雰囲気は怪しかったが、そんなに悪くはなかった。

「旅行会社へ」
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ホテルを出て向かったのが、旅行会社。旅行会社に重たいザックをおいた。

今日の夜19時旅行会社に集合し、夜行バスでカッパドキアへ出発する。それまで時間があった。私はイスタンブールをぶらぶら歩くことにした。

ちょうど昼だったのでなにか食べるものはないかと探していたところ、長細いピザのようなものを発見した。店の人に値段を聞いて、
「(大きかったので)半分で2TLにするよ。」
と言ったので注文した。

店のおじさんに聞くと、この食べ物はピデといってトルコのピザだという。私が食べたピデは玉ねぎがたくさんのったもの。ピザからチーズをなくして玉ねぎの炒め物をのせたような感じで、そこそこいけた。ただ、比べていいのかわからないが、イタリアの(普通の)ピザの方が私は好きである。

「アジア側へ」
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まだお昼で時間があったので、私はまだあまり行ったことのないイスタンブールのアジア側に行くことにした。

船乗り場に行くと、次の船の行先は「kadikoy」と掲示されている。行ったことのない場所だ。そして私は次にくる船に乗ることにした。

船からの眺めはまた格別だった。船はイスタンブールのボスフォラス海峡を少し出る。すると、エーゲ海の水平線が見えてくる。これからあの向こうのギリシャにも行くんだなと思うとわくわくした。

「kadikoy」に到着し、船乗り場の近くに大きな駅が見えた。伝統のある風格、そしてその巨大さに魅かれて、特に用があるわけではにが、その駅に向かった。

駅のチケット売り場に行くと、「テヘラン」行電車の時刻表があった。テヘランはご存じのとおりイランの首都。時刻表を見ると、およそ2日間で着くそうだ。駅員に聞いてみると、運賃は105TL(7350円。アジアへは、10月の内定式の後行く予定だが、この時刻表を見て今すぐにでもアジアに行ってみたい気持ちが強まった。私はヨーロッパよりアジアの方が興味がある。だが、やはりお楽しみは後に取っておくものだ。10月以降を楽しみに待つことにする。

「アメリカから来た夫婦」
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再びフェリーでヨーロッパ側に戻り、私は観光スポットの裏側にある通りを歩いた。レストランを探すためである。観光スポット近くにあるレストランは基本的に高いからだ。

何か安くてお腹がいっぱいになりそうなところはないかと歩いていると、おいしそうなチーズ料理の写真と3.5TL(245円)という安い値段が書かれている看板があったのでその店に入った。私はチーズが大好物なのだ。

出てきたのはチーズと卵を混ぜて焼いたようなもの。それに大きなパンが付いてくるので、私のお腹にはもってこいである。

しばらくこの料理を食べていると、中年の白人とアジア人の夫婦がやってきて、隣のテーブルに腰を降ろした。海外にいると、同じ人種であるせいか、なんとなくアジア人には親近感が湧いてくる。彼らが英語を話しているのを聞き、同じ旅行者だとわかって話しかけてみた。

聞くところによると、かれらはワシントンDCに住むアメリカ人で、親戚がイスタンブールにいるので20日間旅行しているのだという。アメリカのどの場所が一番良いかと聞いたら真先に、
「もちろん、ワシントンDCよ。」
と奥さんが答えた。

夫の方は昔アメリカ空軍の兵士だったそうで、世界のあちらこちらに住んでいたそうだ。日本にもいたのだとか。私はイスラエルに行こうかまだ迷っていたので、イスラエルについて聞くと、
「おじさんもアメリカ軍兵士でね。彼がイスラエルにいたから、私たちもつい2週間前に行ったばかりなのよ。治安は良かったわ。」

私は自分が行きたいので、様々な旅行者やトルコ人にイスラエルについて情報を集めているが、毎回治安が悪いという返事は返ってこない。イスラエルに行くかどうかは、その治安が心配で行こうか行かないか考えていたが、様々な人の話を聞いくと、どうやら問題ないみたいだ。私はイスラエルに行きたいという気持ちが強くなってきた。

今まで苦労して子供を育ててきたのだろう奥さんは、旅の話を聞いて私の事を親のように心配してくれた。
「親とは電話してるの?連絡を取ってるの?」
「心配かけちゃだめよ。」
日本もアメリカも、親と子の関係は同じであるようだ。

奥さんが私に聞いてきた。
「トルコは好き?」
「私はあまり好きじゃないわ。」
私はそこまで嫌いというわけではないが、そこまで好きでもない。特にトルコ人の態度だ。トルコ人の中にももちろん良い人がいる。アラジャもバリスもいい人だった。しかし、多くの人があまり好ましくない態度を取る。露天商は基本的にぼってくるし、観光客を騙そうとしてくる。そしてたくさんの人が平気でたばこを街中にぽい捨てし、ゴミを海に投げる。

イスタンブールはとても良い場所だ。しかし、そこに住む人々に対してあまり良い気分になれなかった。これは文化の違いだから仕方のないことなのだろうか。トルコ国内の格差が原因なのだろうか。私は心が狭いのかもしれないが、どちらにしろあまり良い印象を受けなかった。

「旅行会社へ」
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アメリカ人夫婦に別れを告げ、まだ時間があったので、私はブルー・モスク近くのベンチに座って休憩することにした。

すると様々な人が声を掛けてくる。

一人の少年が私に近寄ってきて、ポストカードをくれると言っていきなり渡してきた。そしてこう言うのだ。
「日本のお金を持っていたらください。」
財布の中に円の小銭が入っていたので渡すと、
「違う違う、紙幣だよ。紙幣。私は貧しくて学校の授業料を払えないんだ。だから紙幣を下さい。」
そういって馴れ馴れしく私にどんどん近づいてくる。私は、
「私は紙幣など持っていない。このポストカードはもういらない。返すよ。」
そう言ってその場を立ち去った。

あの馴れ馴れしい態度、私からより高い金額をねだってくる態度にあまり良い気分になれなかった。


「旅行会社へ」
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時間が来たので私は旅行会社に行った。

旅行会社の入口に近づくと、旅行会社のおじさんが、
「早く、早く!」
とせかしてきた。どうやら集合は19時15分前だったようだ。私は19時に集合だと聞いていた。それを告げると、旅行会社のおじさんは、
「おっかしいな。きっと朝の彼女が15分前って言うのを忘れていたんだよ。」
本当に大丈夫だろうか、この旅行会社は。聞くと、まだ大丈夫だというのでしばらく旅行会社で待っていると小さなバスが来た。これで夜行バス乗り場まで行くのだという。

「バスの旅行者達」
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小さなバスの中は最初私一人だったが、しばらくして様々な旅行者がピックアップされていく。

最初に乗ってきたのはフランス人のピエール。話してみると、ピエールは一年間世界中を旅しているのだという。南アフリカから出発し、東南アジア、南アジア、中東を通り、今トルコにいるのだとか。仕事を辞めて旅立ったそうだ。よほど世界に旅立ちたかったのだろう。

彼はとても優しい。私がこれからヨーロッパを旅し、フランスにも行くことを伝えると、もし良ければ私の街にも来てくださいと言って、E-mailアドレスを教えてくれた。私がフランスにいく頃にはすでに帰国しているというのだ。時間があれば是非行ってみたい。

次にバスに乗ってきたのは韓国人のグループだ。1組の夫婦とその友達2人でトルコを20日間旅行しているそうだ。話してみると、夫婦の夫は韓国の大手電機メーカーLG電子の社員だという。有給休暇はあるのだが、長い間いっぺんに取ることが難しく、今回やっと長期休暇が取れてトルコにやってきているとのことだ。大企業における働くことが第一主義は、韓国も日本も変わりないようである。
「私も若いころに君のように旅行しようと計画していたんだよ。」
「今はもう会社員だし、結婚したからそんなことできないけどね。責任があるからさ。」
日本人がいうこと変わらなかった。

「出発」
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小さなバスは、カッパドキア行きの大きなバスが止まる場所へ行った。

午後20時30分、私たちを乗せたバスは、カッパドキアへ出発した。

タケノコ

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