7月19日 イタリア(4):ローマ&ヴァチカン 「ローマの休日」

「二人のカナダ人」
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昨日の7時半からずっと寝て、起きたのが午前8時半頃。朝になってもまだ頭丸刈り軍団は部屋にいた。

私は部屋を出てシャワーを浴び、昨日ミニ・マーケットで買っておいたリンゴとバナナをキッチンで食べた。

すると、背の高い一人の白人男性がシャワー室からやってきた。話かけてみると、彼はカナダ人で、私と同じようなルートでトルコからここまでやってきたようだ。トルコでは私と違って南の方に行って海のバカンスを楽しんできたようだ。釣りをしたようで、たくさん魚を釣ってレストランに持っていくと10LT(700円)ほどで調理してくれるそうだ。
「10LTのフルコースだった!」
彼は大変満足げだった。旅の途中で釣りをするのもまたおもしろそうだ。

彼はさっきから「We(私たちは)」の主語を使って旅行の話をしていたので、他にもだれかと一緒に旅行しているのかと思ったが、やはりそのようだった。女性が現れ、フランス語で彼に話しかける。カップル二人でヨーロッパ旅行をしているようだ。

私は別れを告げると、
「今日も泊まるの?またあとでね!」
と明るく声をかけてくれる。気持ちの良いカナダ人だった。

「ローマの休日」
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今日は日曜日。ヴァチカン市国の博物館などは休み。ここローマのお店もほとんどが閉じられている。しかし、日曜日といえば教会で礼拝がある日ではないかと思い、時間が合えば本場イタリアの礼拝を見てみたい。更に、日曜日の正午には、サン・ピエトロ寺院で教皇を見ることができるので、是非一度みてみたかった。教皇そのものというより、日曜日の礼拝のために訪れるたくさんの信者で溢れかえるサン・ピエトロ広場をこのお目で見てみたかったのだ。

今日もまたサン・ピエトロ広場に向けて歩き、その途中で昨日行きのがした場所に訪れることにした。昨日は主にローマの南側を歩いていたので、今日は北側を歩いてみることにする。

「サンタ・マリア・マッジョレー大聖堂」
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ホテルを出て、まずテルミニ駅に行って明日フィレンツェに行くための電車の時刻を調べる。イタリアの列車は様々なクラスに分かれている。特急「ユーロスター」や、IC(Inter City)など様々だ。私はいつも「Regionale」を購入する。この電車が一番安いのだ。

明日のフィレンツェ行きの電車の時刻を調べ終わると、私は駅の近くにあるサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂に向かった。

サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂は、教皇が夢で「今夜雪が降った場所に教会を建てよ」と聖母に告げられ、真夏に関わらず雪が降ったのでこの場所に教会が建てられたというのだ。夢でみて教会を建てるとは、なんだか夢で見て大仏を建てた聖徳太子のようだ。欧州でも、日本でも、昔の人は夢の神秘性を信じたようだ。考えることは同じである。

中にはいると、やはり教皇が指示して作ったことだけのことはあった。昨日のサン・ピエトロ寺院まではいかないが、内装は隅々まで装飾がほどこされ、その多くの装飾が金色に輝いている。

中には木でできた電話ボックスのようなものが数個あった。上には「Italiano」や「English」と書かれている。何だろうとじっと見つめていると、いきなり扉が開き、中から人が出てきた。どうやら、占いやら人生相談等をする場所のようだ。なにも知らずに見つめていた私は、急に出てきた人にびっくりした。

今日は日曜日だからだろうか。大聖堂の一角では牧師さんのような人が説教をしていた。

「骸骨教会」
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次に向かったのは、通称「骸骨教会」と言われる「サンタ・マリア・インマコラータ・コンチェツィオーネ教会」だ。なぜ骸骨教会と言われているかというと、そこにたくさんの骸骨が飾られているからだという。その数なんと4000体だ。その異様な教会を一目みてみたいと思い、私はこの骸骨教会に足を運んだ。

途中、イタリアの「オペラ座」があった。しかし、イタリアのオペラ座は意外にも外見は簡素である。豪華な教会をたくさん見てきた私はよりそう感じてしまった。

そしてさらに少し歩くと、なんと「三越」のマークがあるではないか。日本人客用に三越ローマ店があるようだ。まだ開店していなかったので、外から見ただけだったが、中の表記はすべて日本語でも書かれている。海外の三越とはどんなものか興味があったので、帰り道に開いていたら寄ってみることにした。

三越ローマ店から徒歩20分くらいだろうか、骸骨教会の近くに差し掛かった。すると同じアジア系の中年男性が私に話しかけてきた。
「ここらへんにあるサンタ・マリア教会しりませんか?骸骨がたくさんあるところなんですが。」
まさに私が探していたものと同じだった。私もそこに行くから一緒に行きましょうということになった。彼は中国人で現在上海に住んでいるそうだ。私たちはそこまで話す間もなく、骸骨教会に辿りついてしまった。

入口では、最低1ユーロ寄付して下さいと言われた。地球の歩き方には入場無料とされているが、どうやら寄付をしなければならなくなったようだ。私はちょうど小さな小銭がたくさんあったので、1ユーロ分たくさんのコインを入れた。

そして中にはいいた。中はとても薄暗い。そして左手を見ると、本当にたくさん骨が並べられているではないか。ただ単に骨が並べられているのではなく、骨を使って様々な模様を作り出しているのだ。たとえば骨盤だけをたくさんつくって花びらを再現したりしている。なんだかい異様な光景だ。なぜこのような教会を作るにいたったのだろうか。ぜひ知りたいところだ。

「スペイン広場」
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私が次に向かったのが、スペイン広場だ。映画『ローマの休日』では、アン王女がアイスクリームを食べたところ。じゃあ私も!っというところだが、今スペイン坂での飲食は禁止されている。たしかどこかで、映画をマネしてたくさんの人がアイスクリームを食べ、こぼして汚すので飲食は禁止にされたというのを聞いたことがある。

スペイン広場へ続く道を歩く。そして大きなオベリスク(背が高く、細長いピラミッド?)が見えてきた。すると、真白な二つの塔が付いた建物、そして真白で大きな階段が現れた。これがスペイン広場から伸びる「スペイン階段」だ。大理石でできた真白な階段は私にはもったいないぐらいロマンチックである。

そして大きな階段を降りると現れたのがスペイン広場。ここも真白である。広場の中心にある船の形をした噴水は、ローマではめずらしく簡素であった。たくさんの観光客はこのスペイン広場を背に写真を撮る。昔日本人は写真好きといわれて揶揄されたが、今や欧米人は日本人に負けないくらい写真好きなように思う。そして、なんだか嬉しく思うのが、その欧米人が持つデジタルカメラの多くが「Canon」や「Nikon」の一眼レフなのだ。日本のデジタルカメラは世界で相当受け入れられているようである。別に私がこのカメラを作ったわけではないが、日本のものが世界に受け入れられる姿は誇らしげに感じるものだ。

「トレビィの泉」
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時刻を見ると、午前11時。ぜひともローマ教皇が顔を出し、たくさんの信者で賑わう正午にはサン・ピエトロ寺院に行きたかった。スペイン広場からだいたい30分くらいだろう。まだ少し時間がある。途中にローマのシンボル的存在「トレビィの泉」があったので、行くことにした。

トレビィの泉は大きな通り沿いにあるわけでもなかったので、行くのに少し迷ってしまった。途中、観光案内所があったので地図を見せて現在位置を確認し、やっとのことでトレビィの泉に到着することができた。

トレビィの泉にはたくさんの観光客でごった返している。広いだろうトレビィの泉も、観光客がたくさんいるのでとても狭く感じた。ローマには、私が行ったギリシャやトルコのどこよりも多くの観光客がいるので少し嫌になってしまうが、それだけ魅力的なところが多いということだろう。

トレビィの泉はたくさんの人を集めるのに値するくらいすごい。巨大なモニュメントと水の流れと色が良くあってとても美しいものだった。このトレビィの泉に後ろ向きでコインを投げると、もう一度ローマに来ることができるという。2セントコイン(3円ほど)を選ぶというケチな私だが、私も後ろ向きでコインを泉へ投げてみた。これでまたイタリアに来れるかな。

「サン・ピエトロ寺院へ急げ!」
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トレビィの泉に行くのに少し迷ってしまったので、正午まであまり時間がなかった。正直たくさん歩いたのでお腹が空いていたが、私は正午のサン・ピエトロ寺院を見たいので急いで走った。

サン・ピエトロ寺院に近づく。この近くになると、私と同じように走ったり、皆サン・ピエトロ寺院に向かっているのだろうと思っていたが、なぜかたくさんの人がサン・ピエトロ寺院から離れていく。もしかして時間を間違えたのかな。しかし、地球の歩き方を確認してもやはり正午と書かれているので私は走り続けた。

そしてついにサン・ピエトロ広場に到着。しかし、そこには多くの信者が集まっている姿はなかった。あれ?やっぱり何か間違えたのか?広場を見渡すと、昨日電源の入っていなかった巨大スクリーンに何か映っている。画面にはたくさんの信者達や偉そうな聖職者達が何やら読み上げている姿があった。そして画面が切り替わると、そこには現教皇が現れた。どうやら、教皇は今サン・ピエトロ寺院ではなく違う場所にいるようである。多くの信者も教皇と一緒に行ってしまったようだ。期待して走ってきたのに残念である。この画面はどこから映しているのか多くの人に聞いたが、誰も知らなかった。一体どこにいるのだろうか。

「レストランでランチ」
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私は、さっきから長い間歩いたり走ったりしていたので疲れていた。ちょっと休憩しようと、何か良いところはないか探した。サン・ピエトロ寺院へつながる大きな通りを歩いていると、たくさんのバール(Bar)がある。バール(Bar)は、イタリアではコーヒーの立ち飲み屋であると『地球の歩き方』に書かれていた。コーヒー好きの私はまだ本場イタリアのコーヒーを味わったことがなかったので、ここでコーヒーを買って休憩しようと思った。

中に入る。小さな場所で黒い蝶ネクタイを着けた正装姿でたくさんの注文をせっせと聞いてコーヒーを入れていた。お酒もあった。「Bar」というからには酒も取り扱っているのだろうか。

コーヒーを注文する。すると、エスプレッソかアメリカンかどちらか聞かれた。私は飲みやすいアメリカンを頼んだ。先に支払を済ませなければならないようで、まずレジに行って代金1.5ユーロ(195円)を支払う。そしてレシートを出してコーヒーを頼んだ。

出てきたコーヒーを手に、店先にあった石段の上に私は腰を降ろして一休み。コーヒーを啜る。アメリカンだったが、とても濃い味がしておいしかった。イタリアに来てコーヒーを飲むというそのシーンが、気分を盛り立てた。やっぱりイタリアは何でもおいしい。

「レストランでランチ」
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休憩を済ませ、私は歩きはじめた。私は次にパンティオンという、なんと紀元前に作られ、かのミケランジェロが称賛したという建物を訪れたかった。しかしそろそろ昼食の時間。お腹も空いてきた。私はサン・ピエトロ寺院からパンティオンに向かう道で何か良いレストランはないか探した。

今まで主に、大きな通り沿いを歩いてきたが、大きな通り沿いにあまり手頃でおいしそうなお店はなかったので、小さな路地を歩くことにした。

私はまだイタリアに来て自分で作ったパスタしか食べたことがなかった。イタリアのパスタはどこに行ってもアルデンテでおいしい店ばかりだと何かの本で読んだことがある。その真意を確かめるバク、私はパスタがお手頃でおいしそうなお店を探した。

しばらく歩くと、8ユーロ(1040円)で水500mlとパスタと前菜が付くセットを売る店があったので、どうせなら前菜も食べてみようと思い、店に入った。

私は店の外に置かれるテーブルを選んだ。私は外で食べる方が街の景色が見えて好きだからだ。テーブルには黄色いテーブルクロスがかけられ、とてもおしゃれな雰囲気である。

まず出てきたのがビン詰の水。グラスに注いで飲んでみると、スパークリング・ウォーターだった。スパークリング・ウォーターにあまり慣れていなかったが、飲んでみるとそこそこいけた。しかし、やはり普通の水の方が私は好きだ。

次に出てきたのが前菜である、焼いたフランスパンの上にたくさんのフレッシュトマトがならび、オリーブオイル等で味付けされているもの。日本でもこの料理は食べたことがあるが、とても大好きだ。フランスパンのかりっとした歯ごたえと冷たいフレッシュトマトはとても良く合う。早速私の好物が出て来たのでうれしかった。

そしてついにおまちかねのスパゲッティである。スパゲッティはカルボナーラ。カルボナーラは生クリームで味付けされているものを想像したが、イタリアのカルボナーラは生クリームでなくほとんど卵。ベーコンが入っているのは日本と変わらなかった。口にしてみると、パスタはおいしいのだが、なんだか味が薄い。塩を足したくなる味だった。イタリアのカルボナーラは皆このような味なのだろうか。正直私の口には合わなかった。

サービスもあまり良いとはいえない。皿を出す時、ポンっとなげるようにして私の机の上に料理を運ぶのだ。

せっかくパスタを食べるために奮発してレストランに入ったのにとっても残念である。

「パンテオン」
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レストランを後にして次に向かったのはパンテオンだ。なんと、一度改修されたといえ紀元前の建物でこんなにも大きな石造りの建物が現存しているとは驚きである。映画『天使と悪魔』にも登場した。この場所にかの有名な芸術家ラファエロの墓があるという。

中に入ると、パンテオンはとても幻想に満ちた空間だった。入る光は天井に空いた大きな穴一か所からのみである。しかしその光が内部を差し込むように照らし、聖なる空間を演出する。ミケランジェロがこのパンテオンを称賛したのも頷ける。

内部の側面には石像や墓がある。石像の上から差し込む光が当たり、石像は光輝く。光はひとつしかないので、光があたる石像は一体だけ。時間ごとに光があたる石像が変わるようだ。

建物の外に出て座り休憩しながら、パンテオンの外側を観察した。外壁には無数の穴が開いている。長年この場所で形をとどめていたのだ。むしろこの穴程度でここまで奇麗な形をとどめているのが奇跡といえよう。

この場所にもたくさん落書きが描かれている。観光客達は観光地に訪れ、楽しんだり感動したりするだろう。観光地に住む人々もまた、観光客が訪れることによって自分の住む土地の素晴らしさを分かってもらえるのでとても嬉しいだろうし、たくさんの観光客が来ることによって経済も活性化させることができるだろう。しかし、すべての観光客が観光地にプラスになるわけでない。マナーの悪い観光客はその地にゴミを捨て、落書きをし、夜に騒いだりし、その地の環境を悪化させる。まさに観光汚染だ。長い間旅行しているとこのような光景がよく目につく。同じ観光客としていつも残念な気持ちになる。悲しい限りだ。

「真実の口」
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次に向かったのは真実の口。今日はローマの北の方を回る予定だったが、昨日南を回っていた時真実の口をみるのを忘れていたので、今日いくことにした。

パンテオンからあるき、しばらくして川が見えた。ローマの川は緑色をし、あまり奇麗とはいえない。残念だったのが、たくさんのペットボトルが浮いていたことだ。イタリア人の環境意識はあまり高くないようだ。

30分くらい歩いただろうか。真実の口があるサンタ・マリア・イン・コスメディン教会に到着した。正面の入口近左手に真実の口があり、その口に手を入れて写真を撮ろうと、たくさんの人が並んでいた。私はどんなものか見たかっただけなので、少し遠くから真実の口を見た。

中の教会は簡素な造り。ローマにいると多くの教会が豪華な造りなので、久々にこのような簡素な教会を見た。しかし簡素な教会もまたそれで味があって良い。

「サン・ピエトロ・インヴィンコリ教会」
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最後に向かったのが、サン・ピエトロ・インヴィンコリ教会である。この教会は、この昔キリスト教が迫害されていた時代に、聖人ペテロが捕らえられ、鎖でつながれていた場所だという。そこにはミケランジェロの「モーセ像」もあるということなので、正直なところそこまでキリスト教に詳しいわけではないが、興味があったので行ってみることにした。

教会に行くまでにローマ市庁舎があった。ローマ市庁舎はやはりローマらしく、表にはたくさんの石造がならんでいる。その街の文化が市庁舎に反映されているのは、市が文化を象徴しているようでとても良いことだと思う。私の生まれた地の近く、名古屋の市庁舎が名古屋城を真似ているその姿が頭に浮かんできた。名古屋とローマの共通点があるとは驚きである。

しばらくして、サン・ピエトロ・インヴィンコリ教会に到着した。教会近くでは、アコーディオンを演奏する路上演奏者がいて、のどかな雰囲気を盛り立てる。

中の装飾はまたすばらしいものだったが、色が白に統一されているそのシンプルさが私はとても気に入った。教会の中心にはペテロがつながれていたという鎖が豪華に置かれている。まるで宝のような扱いだった。右手にはかの有名なミケランジェロのモーセ像が置いてある。像の隣にお金を入れると、像に光が当たる仕組みなようだ。ラッキーなことに誰かがちょうどお金を入れてくれたのでライトアップされた。この像はとても有名なようだが、私はサン・ピエトロ寺院にあった同じミケランジェロのピエタの方が好きだ。今のところ私の石像ランキング第1位はピエタである。

「ローマの三越」
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私のローマで見たいものはあとヴァチカン博物館を残すのみとなった。しかし、ヴァチカン博物館は今日は日曜日なので休み。もう見るものがなかったが時間があったので、今日行きに発見した三越ローマ店に足を運んでみることにした。

中に入ると、店員は当然のように、
「いらっしゃいませ。」
と日本語で言ってくる。店内の値段も、円とユーロの併記である。客はもちろん全員日本人で、店内のいたるところで日本語が飛び交う。まるで日本にいるようだった。

売っているものは、イタリアの高級ブランドが中心のようだ。私には用がないといわんばかりである。私はすぐに店外へと立ち去った。

「ホテルのアフガニスタン人」
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私はホテルへ帰った。ホテルにはキッチンがあるので今日の夕飯は自炊だ。スーパーで500グラム0.9ユーロ(117円)で購入したパスタを、200グラムたっぷり茹で、トマトソースとバジルで味付けをする。トマトソースとバジルは両方ホテルに常備されていたものだ。冷蔵庫に入っていないが良いのか少し疑ったが、オーナーいわくかまわないという。賞味期限も念のため確認したが、両方とも大丈夫だったので自炊に使うことにした。

自炊中、きさくな若くてごつい男が話しかけてきた。彼はアフガニスタン人。1週間ローマに滞在するのだという。その理由を聞いて私は驚いた。

なんと、これから祖国に帰り、戦争に参加するのだという。
「アメリカと闘ってくるよ。」
戦車に乗って運転する予定だとか。
「日本も前アメリカと闘ったんだよな。」
そういってフレンドリーに接してきてくれた。戦争に参加するのに怖くないのかと聞くと、
「怖くないよ。」
と笑顔で言う。こんな笑顔充ち溢れる青年がこれから戦争にいくとは正直信じがたい。だが、彼の意識はとても高かった。

世界では様々なことが起きている。このたびをして様々な国の人に会うと、世界がとても身近に感じるものだ。そして、つい先日知り合った友人が、すぐにでも戦争にいくという事実をつきくけられたりするのだ。悲しい事実だが、これが世界の常識なのだろうか。

私は、そんな世界は嫌だ。

タケノコ

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