7月15日 ギリシャ(8):アテネ~パトラ 「野宿暮らし」



パトラ駅

「起床」
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朝9時頃起きたら、まだ昨日の日本人の人が部屋にいた。私はホテルに頼むのではなく、自分で洗濯をしているのだが、彼も自分で洗濯をしているようで、ちょうどベランダで洗濯物を干しているところだった。

今日は私が昨日行っていたパルテノン神殿などを見に行くのだという。今から出発するようだ。彼ともこれでお別れだ。

私は、最近移動してばかりで少し疲れていたのでいたし、アテネで特に行くところもなかったので、11時のチェックアウトの時間までぐったりとしていた。

11時近くになり、私は身支度をしてホテルを出発した。

「再びアテネ・ラリッサ駅へ」
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私は、イタリア・バリへ行くフェリーが出発するパトラという街に行くため、再びアテネの中心駅・ラリッサ駅へと向かった。昨日、この駅の駅員には本当に懲りたが、バスより電車の方が好きなので電車でいくことにする。

駅に行くと、朝だからなのか昨日ほど混雑していない。チケットはすぐに購入することができた。アテネからパトラまで12ユーロ(1560円)。

出発まであと30分あったので、私は昼食を探しに駅の近くを歩いた。少し歩いたところにパン屋があったので入る。ギリシャのパンやは、パンだけでなくケーキなどもよく売っている。パンの量り売りもあり、日本とは販売方法が異なる。

女性店員が二人いたが、私が
「これはいくら?」
と聞くとどうやら英語がわからないようで、もう一人の方にバトンタッチした。ギリシャの人々はあまり英語が通じない。英語圏ではないのだから当然といえば当然である。

私は、1.5ユーロ(195円)でチーズと海苔のようなものがサンドされているパイを買った。電車に乗っているときに食べよう。

「アテネ出発」
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電車は、駅の2番線に定刻の12時より10分くらい遅れて到着。ギリシャではこれくらいの遅れは当たり前なのだろうか。

電車が合っているかどうか不安だったので、私は乗客にこの電車がパトラ行きかどうか尋ねた。乗客はこの電車で良いという。私は安心して電車の席に座った。

アテネからパトラまで電車で4時間かかる。それまで私は電車の窓を覗きながら、パソコンで日記を書くことにした。車窓からの風景は、日本と違ってあまり多くの緑がない地域を走る。このあたりは降水量が少ないからこのような風景なのだろうか。遠くの方には海が見え、広々とした景色はとても開放感がある。

「バスに乗り換え?」
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電車は1時間半ほどして乗り換え駅「Kiato」にやってきた。この乗り換え駅の周辺にはなにもない地方だ。広い土地に10メートル置きに家が立ち並ぶだけだった。私はそこから電車に乗り換えるのだと思っていた。しかし駅員に聞くと、
「パトラはそこからバスだよ。」
と言う。バスが二台とまり、乗客を乗せる。不安になったので、
「電車でパトラに行くチケットを買ったのだけど、このバスでいいのですか?」
と乗客に聞いてみると、これで良いのだという。何かあったので電車が通らなくなったのだろう。私は電車が良かったのだが、しぶしぶバスに乗った。

バスは高速道路を猛スピードで走る。二車線だというのに、他の車をわきによけ、猛スピードで走るのだ。この高速道路には速度制限があるのだろうか。バスはガタガタ揺れる。日本と違って、無駄に道路の整備がされていないので、バスはとても揺れるのだ。だから私は電車の方が好きだ。

30分ほど走り、バスは駅に停まった。どうやらここから電車に乗ってパトラに向かえということらしい。なんだかよくわからないが、再び電車に乗ることができて私は嬉しかった。

「パトラへ」
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その駅からパトラへ向かう列車の風景はまた格別だった。パトラまではずっと海岸沿いを走るので景色がまた良い。反対側の車窓からは、ギリシャののどかな田園風景が広がり、私はいくら眺めても飽きなかった。これぞ「世界の車窓から」である。

アテネから約4時間、電車はパトラに到着。パトラの駅は、2車線しかないとても簡素な駅だった。私は駅を出て、街を眺めた。

パトラは、港街として栄えているようだが、あまり人通りは多くない。町の通りを歩いても、あまり店は開いていなかった。アテネ程ではないが、閑散とした街には数人黒人がサングラスの露天商を営んでいる。街にはあちこりスプレーの落書きがされているので、あまり治安が良いようには見えなかった。

私はこのパトラでキャンプをしようと思っていた。そのためには街の中心を離れてた方が良いと思って、街を突っ切った。

通りを一直線に進むと、大きな階段がある。何百段あるのだろうという階段だ。この階段を登れば、街の中心の雰囲気から離れることができると思い、私は重いザックをかついで上に登った。

「大きな教会」
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階段を昇ると、閑散とした住宅街が広がっている。少し進むと、右手に大きな教会が見えた。やはりヨーロッパには、大抵のところにこうした大きな教会があるのだと思い、行ってみることにした。

教会の入口に行くと、門が閉まっている。私は長い時間ザックをしょっていたので疲れていた。そこで門の前にある階段に腰を下ろし、しばらくの間ボーっとしていた。

すると、目の前の家から黒ずくめの神父さんのような方が現れた。どうやら目の前の家は神父さんの家のようだ。

そして神父さんの家から別の男がやってきて教会の扉を開けた。私は、その男の人に、
「このあたりにキャンプするのに良い場所はないか?」
と聞いた。男の人は、
「このあたりではキャンプは禁止されているよ。」
と言う。ギリシャにはこのような場所が多い。何故そんなに禁止するのだろうか。

私はキャンプをするのを諦めた。しかし、私は懐事情がこのままだと厳しいように感じたので、宿代を節約したかった。

よし、野宿しよう。そう決めた。
パスタ自炊中
「野宿」
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私は野宿する場所を駅にした。駅は24時間人がいるし、明るいので安全だと思ったからだ。そして駅に向かい、ベンチに座って前の日の日記の書き残しを書いていた。

お腹が減ってきた。夕食の時間である。しかし、先ほどこのあたりを歩いた時、あまり手頃なレストランがなかった。そして、私は自分がキャンプ用のコンロと鍋を持っていることを思い出し、自炊をすることにした。

街を歩くと、スーパーマーケットがあった。そこでパスタ(400g:1.1ユーロ:143円)、1つ0.40ユーロ(52円)のトマトソースを買った。

あまり人がいるところで飯を作るも難なので、港が近い公園に行った。幸い、この辺りは日がながいので、夕食の時間になってもまだ明るく、安心して野外で自炊ができた。辺りには誰もいない。ここならできる。

ザックからコンロと鍋を出し、スーパーで0.30ユーロ(42円)で買った水を入れ、湯を沸かす。そしてパスタを約100g入れ、しばらく待つ。正直、こんな経験は初めてである。なので、誰かここに人が来て、自炊している姿を見られても恥ずかしいので、早くパスタを食べて退散したかった。こんなに早くパスタができて欲しいと思ったのは初めてである。

パスタを味見し、ちょうど良く柔らかくなったところで湯を別の鍋に出した。そしてその鍋にトマトソースを和え、トマトパスタの完成だ。

その時、おばあさん一人が公園にやってきて、少し遠いベンチに腰を降ろした。やはり少し不審な目でチロチロ見てくる。まぁ公園でパスタ作るやつなんて滅多にいないだろうから当然である。

私は急いでパスタを食べた。パスタは簡素なつくりながらなかなかおいしい。おばあさんもいるので、私は鍋を洗ってその場を去った。

「駅泊」
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私は夕食を済ませたあと、本を読んで時間を潰した。そして夜10時頃になって寝ようとした。

中のベンチには手すりが付いていて、横になることができなかった。しかし、中の方が暗くて安全そうだ。私は中でしばらく寝ようと試みた。

でもやはり眠ることができない。横になることもできないし、駅の人は常に窓口にいるわけではないので、少し不安だったからだ。

そこで私は、手すりがなく、横になることができる外のベンチに行き、横になった。

しかし、外にはこのあたりの若者であろう人々が数人しゃべっている。だが他にも人はいたし、大丈夫だと思い、貴重品を抱え込んでし寝ようとした。回りにも同じようなバックパッカ―が寝ていたのでより安心できた。

寝る途中、なんで私はこんなことをしているのだろうと思った時があった。公園で飯をつくり、駅で寝る。なんだか少し虚しくなった。

しかし私が十分旅を楽しむことができる時間があるのは、今しかないのだ。これから社会人になり、あまり旅ができないことを後悔したくなかった。仕事を一生懸命やりたかった。だから資金がなくなり、帰国しなければならない事態をどうしても避けたかったのだ。旅を成功させるための、自分への試練だと思って自分で結論付け、私は寝た。

タケノコ

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